小島健輔の最新論文

ブログ(アパログ2018年10月09日付)
『ファッション業界はホントに高感性なの?』
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

2175ブログ画像1-2

 このギョーカイは消費者との情報格差(いわゆる非対称性です)で付加価値を高めるという“ファッションシステム”で成り立ってきた。その上から目線の情報操作もネット・デモクラシーの今日となっては怪しくなり、消費者側のインフルエンサーを取り込んでシステムを維持せんとしているが、拡散の仕掛けはともかく情報を発信する感性はホントに一般消費者を凌駕するものなのだろうか。70年代の東京DC黎明期からデザイナー商品のバイイングに関わり、ファッション企業の様々な“クリエイション”を見てきた私としては訝られる事が多い。

 

■店が美しくない

2175ブログ画像2-3

 ハイブランドのお店はさすがに美術的に見ても洗練されているが、駅ビルやSCのお手頃なお店になると建築的な造形美など期待すべくもなく(内装費の多少は関係ありません)、在庫を詰め込んだバラックにしか見えない。それは建築的貧困さや照明スキルの稚拙さだけでなく、商品の分類配置やカラーグルーピング、陳列フォルムやカラー配列など、基礎的なVMDスキルや美術的素養の欠如も起因していると思われる。

 百貨店業界に蔓延している「定数定量陳列」では詰め込みは避けられても、フォルム配列やカラー配列が洗練されるわけではないし(それは別のスキル)、出し切れない色やサイズを逐一、接客中に後方に探しに行くという顛末が繰り返される。真っ当な店なら有りえない醜態だが、消化仕入れで販売プロセスに関心のない百貨店では未だまかり通っている。

 陳列でも商品企画でも配色設計が平べったく立体感を欠くのも残念で、画家が予めパレットに使う絵の具を配置して構成イメージを固め、光のハーモニーやコントラストの妙を探ってキャンバスに絵の具を重ねていくクリエイションと比べれば薄っぺらく、素材の持ち味も生かしきれていない。

 ファッションの仕事をするなら美大で学べとまでは言わないが、基礎的な美術的素養は一通り身につけるべきではないか。

 

■照明にデリカシーがない

 昔ほど酷くはなくなったが、未だ照明には関心もスキルもデリカシーも欠く店が少なくない。明るい暗い、スポットが当たってるかどうかぐらいは解っても、色味(ケルビン)やテンション(ケルビン×ルーメン)、天井高と配光角、ウォールウォッシャーと内装反射など、どうして誰もチェックしなかったのかとガッカリさせられる。

 ブランドのキャラや顧客層によって店舗の照明は必然的に定まるものだが、モダンな商品なのに柔らかいテンションの温かい照明にしたり、ナチュラルな商品なのに硬いテンションの冷たい照明にしたり、内装素材の色反射で台無しにしてしまったりと、デリカシーのない店舗が氾濫している。ロフトを気取って天井も床も壁もモルタル仕上げにしたチノ素材テーマのお店など、内装反射の青ざめた照明でチノの風合いが死んでいたが、関係者の誰もそれに違和感を感じないという感性には絶句させられた。

 私が知る限り、照明のデリカシーはファッション業界より食品業界の方が格段に優っている。衣料品では素材別の照明は見られないが、食品では精肉には赤みの柔らかい照明、パンには黄みのナチュラルな照明、野菜や果物には太陽光に近い照明と、専用電球(もちLED)が使い分けられている。

 

■せめて商品の扱いぐらいデリカシーを

 もっとデリカシーを疑うのは商品の扱いだ。ものづくりにはこだわっても物流段階や陳列段階では無造作に扱われるケースが少なからず見られる。ハンガー物流にこだわるわけではなく、パッキン物流でも拳一つ緩衝材を入れたりパッキンを重ねないデリカシーが必要だ。

 ZARAのショールーミングストアで試着後の商品を逐一、点検して再プレスしていたのには驚かされたが、それが驚くほど稀有な光景であることも悲しむべきだろう。素材を痛めるクリップハンガーの使用は止めてと幾度、訴えても誰も聞き入れないのも怠慢を超えている。

 もとよりそんなデリカシーが存在しない業界なのだろうが、それで“ものづくりのこだわり”とか“クリエイション”とか謳われても鼻しらむだけだ。根元から建築や美術の素養と陳列や照明、荷扱いのスキルを学び直してほしい。

※VMDの実務スキルを体系的に教えるセミナーを11月7日に開催します。関心のある方はこちらから。

論文バックナンバーリスト