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WWD 小島健輔リポート
『紳士スーツ需要は本当に復活しているのか?』
(2024年08月19日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

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 今春の賃上げが33年ぶりの高水準となって6月の実質賃金もボーナス効果で27ヶ月振りにプラスに転じ、コロナでダメージを受けた紳士スーツ需要も復活が伝えられるが、果たしてスーツ需要は本当に復活しているのだろうか。青山商事のビジネスウエア事業とAOKIホールディングスのファッション事業を軸に検証してみた。

 

■販売着数の減少は止まっていない

 青山商事ビジネスウエア事業の24年3月期売上は前期から4.7%、AOKIファッション事業も同5.8%伸び、スーツ売上高も前者は6.6%、後者も4.8%伸びたが、一着単価が前者は31764円と10.3%、後者も27800円と7.3%上昇したゆえで、販売着数は前者が117.4万着と3.3%、後者も85.3万着と2.4%減少している。コロナ前19年3月期比では、青山商事ビジネスウエア事業の売上は69.6%、AOKIファッション事業の売上は89.8%、スーツ売上も前者は66.5%、後者も74.6%にとどまり、販売着数は前者で57.3%、後者も68.4%にとどまるから到底、復活と言える勢いではない。

 直近25年3月期1Q(4〜6月)も、青山商事ビジネスウエア事業の売上は前年同期から横ばい、AOKIファッション事業の売上は3.3%伸びているが、スーツ売上は前者で5.8%、後者でも2.1%減少している。一着単価は前者で33436円と6.8%、後者も30100円と2.7%上昇し、販売着数は前者で21.9万着と11.8%、後者も14.9万着と4.7%減少しているから、「紳士スーツが復活している」と言える状況には程遠い。

 家計消費に見るビジネスウエア(紳士スーツ[背広]/Yシャツ/ネクタイ)支出も23年は21年の大底から22.2%回復したものの、19年比では73.9%、00年比では33.3%と凋落が著しい。23年のスーツ[背広]購入金額は19年の81.4%、単価は38680円と20年の大底から9.2%上昇して19年からも2.7%上昇しているから購入数量は19年の8掛け弱になったはずだが、青山商事ビジネスウエア事業はもちろんAOKIファッション事業もその水準をかなり下回る。

23年の業界の推計販売着数は19年の68%ほどに落ち込んでいるから、家計消費[背広]購入着数の19年比8掛け弱という水準とは乖離がある。その差は紳士服業界と消費者の「スーツ」認識のギャップに起因しているのではないか。

 青山商事ビジネスウエア事業もAOKIファッション事業も「スーツ」と規定しているのは既製テーラードスーツであり、近年急増しているアクティブスーツ(機能性合繊のビジネスセットアップ)は「軽衣料」(カジュアル)に分類しているが、家計調査ではアクティブスーツも少なからず「スーツ」と認識されていると推察される。『伝統的な「テーラリング」こそビジネススーツの本道であり、カジュアルの生産ラインで量産されるアクティブスーツはトラックスーツ(ジャージの上下)と大差ないカジュアル商品』、という紳士服業界の認識は消費者の認識とはかけ離れているのではないか。

 

■紳士向け既製スーツ市場の実勢

 紳士向け既製スーツの供給量は財務省貿易統計の輸入数量と経済産業省工業統計の国内生産数量から統計的に掌握できるが(輸出量は皆無に近い)、販売数量は小売各社の分類基準や集計・推測方法によって幅があり、大枠の推移しか掴めない。以下は業界の断片的なデータから私が推計した推移であり、当たらずとも遠からずと受け止めていただきたい。

  紳士既製スーツの販売着数ピークは1992年の1350万着だった(供給総量は1937.2万着)と言われるが、バブル崩壊以降は年々減少し、リーマンショック以降は700万着を割り込んだ。景気が上向いて回復する年があっても長期的な減少基調は変わらず、コロナ前19年は消費税増税で500万着を割り込み(推計480万着)、コロナに直撃された21年は320万着(供給数量は545.4万着)まで落ち込んだと推計される。スーツ売上は多少回復しても一着単価が上昇しているから販売着数の回復は僅かで、23年も330万着程度(供給数量は710.7万着)にとどまったと推察される。

 紳士既製スーツの供給サイクルは年2回でリードタイムも半年以上と長く、シーズン中の消化率も6掛け前後で残りは翌シーズンに持ち越されるから、供給数量と販売数量は時差が大きく需給調整機能は無いに等しい。最盛期の1992年でも供給着数に対する販売着数は7掛け止まりで、販売着数が急減する局面では5掛けを割り込むこともあったから、毎年、4割前後が売れ残って持ち越され、新作品を加えて品揃えする「鰻のタレ」方式が常態化している。

 紳士既製スーツの品揃えはブリティッシュからクラシコイタリアまで多様なスタイル、身長×ドロップ(Y、A、AB,B)の多数のサイズ、様々な織り地・色柄のバラエティが求められるから、ロードサイドの紳士服店では最低でも1400着が必要で、大型店では2000着以上を揃えていた。

リーマンショック前までは、まだ一店平均年間2億2000万円、スーツだけで3500着近く売れていたから1400着を揃えても在庫は2.5回転ほど回って60%以上が消化されていたが、コロナ前19年には一店平均年間1億5000〜6000万円、1600〜1800着前後まで落ち込み、消化率は55%程度まで落ち込んだ。大底の20年は一店平均年間1億2000〜3000万円、1400着前後まで落ち込んで、過半が売れ残ったと思われる。直近23年は一店平均年間1億7000万円近くまで回復しているが、一着単価と既製スーツ以外の商品(フォーマルとパターンオーダー、アクティブスーツなど)が押し上げたものであり、既製スーツの販売着数はほとんど回復していないのが実情だ。

 

■青山、AOKIの業績回復は評価される

 紳士既製スーツの回復は厳しくても、青山商事のビジネスウエア事業もAOKIホールディングスのファッション事業も着実に業績が回復しており、逆風下の舵取りが評価される。

 青山商事ビジネスウエア事業の24年3月期は売上が4.7%伸びても19年3月期の7掛け弱(69.6%)、営業利益も57%までしか戻せず、営業利益率は5.7%と19年3月期の7.0%には及ばない。スーツ売上は19年3月期の66.5%、レディス売上も71.6%にとどまるが、フォーマル売上は79.1%まで戻し、レディス売上比率は17.3%と0.5ポイント上昇している。

一店平均売上は16732万円と19年3月期の85.1%、同スーツ売上は79.4%、同スーツ売上着数は68.5%にとどまるが、平米当たり売上は267千円と82.9%、一人当たり売上は27011千円と99.2%まで戻し、コロナ下で切り下げた平均年間給与(連結全社)も4960千円と19年3月期の水準(4901千円)を超えた。

 AOKIファッション事業の回復は一段と力強く、24年3月期は売上が5.8%伸びて19年3月期の9掛けに 迫り(89.8%)、営業利益は11.9%上回った。営業利益率も8.1%と19年3月期の6.3%を上回る。スーツ売上は74.6%まで戻し、レディス売上は100.5%と19年3月期を上回ってシェアも21.1%と2.4ポイント伸びている。

一店平均売上も16827万円と19年3月期を3.6%上回り、青山商事ビジネスウエア事業を僅差で超えた。同スーツ売上は19年3月期の88.3%にとどまって青山商事ビジネスウエア事業の80.2%、同スーツ売上着数は19年3月期の81.0%にとどまって青山商事ビジネスウエア事業の91.2%と格差は残るが、19年3月期からはかなり縮まった。平米当たり売上は323千円と19年3月期を3.5%上回り、青山商事ビジネスウエア事業を21%も凌駕する(19年3月期は3.1%下回っていた)。

一人当たり売上も29810千円と19年3月期を17.6%も上回り、青山商事ビジネスウエア事業を10.4%凌駕する。平均給与は開示されていないが、全社連結の一人当たり年間給与・賞与は19年3月期を4.1%上回る。AOKIは非正規雇用も多いエンターテイメント事業、ブライダル事業が売上の46.7%を占め、持ち株会社のホールディングスしか平均給与を開示していないのでファッション事業の平均給与は推察するしかないが、一人当たり売上や営業利益の伸び率から見て19年3月期水準を相応に上回ったことは間違いないだろう。

コロナからの業績回復はマーケットや企業によって格差があるが、紳士服という長期凋落分野において既製スーツの売上激減をアクティブスーツやパターンオーダー、フォーマルや婦人服で補い、異分野事業を開拓して業績を支え雇用を守った両社の経営努力は評価されて然るべきだろう。

 

■既製スーツに取って代わるアクティブスーツ

 既製スーツの凋落はビジネスシーンのカジュアル化とスポーツウエアに発した機能素材開発がもたらしたもので、加速することはあっても後戻りすることはない。

 欧米のビジネスウエアは組織階級に従って「スーツ」(肉体労働を伴わないエグゼクティブ層)、「オフィサー」(現場指揮の労働を伴う中間管理職)、「ワーカー」(現場労働者)、「セールスマン」(外回り労働を伴う営業職)の4クラスに分かれるが、我が国でも基本的なところは変わらない。

 「スーツ」階級は汗して労働することも満員電車に乗ることも無いから、しなやかな上質素材の誂え(オーダー)スーツ/ドレスシャツをスタイリッシュにフィットする。「セールスマン」は外回りで体を使い物流労働が絡むこともあるから、タフな素材の動きやすい吊るし(既製)スーツをロードサイドの紳士服店(米国も日本と同じです)で購入して緩めにフィットする。「オフィサー」は上目遣いのきちんと感と下目遣いのカジュアル感をバランスするから、センタープレスのコットンパンツにキレイ目ワークシャツかハイゲージニット、ジャケットかキレイ目ブルゾンの「ビジカジ」を動きやすいよう緩くフィットする。

「スーツ」階級は馴染みのテーラーでオーダースーツを誂え、カジュアルなシーンでは「オフィサー」風のハイクラスなイタロビジカジも愛用するが、ハイテク業界では著名デザイナーの安くないワークウエア(Tシャツやタートルネック)を着た切りに徹するスタイルも流行った。イタロビジカジはリーマンショック以降、退潮傾向が続き、クラス感より機能性を重視する今時のエグゼクティブはジェットセッターなライフスタイルを快適に過ごせるよう、「ユニクロ」のストレッチ・セットアップや「ミズノ」のアイスシルク(接触冷感フルストレッチ合繊)セットアップを愛用する人もいる。

登場初期は若者の入門用や出張用と見做されていたアクティブスーツ(イージーケアの機能性合繊素材セットアップ)もシーズンやシーンに見合った意匠や機能が開発されて多様化し、紳士服専門店の価格帯とカジュアルチェーンの価格帯に二極化していった。紳士服専門店のアクティブスーツは概ね上下で2〜3万円が中心だが、裾根は1万円を切るものもあり、ECではカジュアルチェーンと変わらない5000円前後の企画も見られる。ブランドものではイタリア生地を使った6〜10万円のアクティブスーツも珍しく無いから、紳士服専門店のアクティブスーツも意匠性のアパーラインを加えるべきだろう。

コロナ禍を通じて既製スーツの売上は160万着、アクティブスーツ登場からは180万着減少したが、その減少分は丸々、紳士服専門店やブランドビジネスのアクティブスーツに移行したのではないか。「ユニクロ」や「グローバルワーク」などカジュアルチェーンや量販衣料店の低価格(上下で一万円以下)な機能性アクティブスーツは別のマーケットと位置付けるべきだが、それも合わせると23年の紳士既製スーツ推定売上330万着を上回るマーケットに拡大したと推計される。

この傾向は止まることなく、アクティブスーツの意匠性や機能性が進化して一段と多様化が進めば、既製スーツに代わるビジネススーツの主役になっていくと思われる。ならば、テーラリングのスーツは特別の機会の服か一部の人の嗜好品になっていくのではないか。その狭間で期待されるのがパターンオーダースーツだが、こちらも課題を抱えて伸び悩んでいるようだ。

 

■ガラスの天井を越えられないオーダー市場

 既製スーツの市場規模が縮小し消化率が落ちて多様なスタイル、身長×ドロップの多数のサイズ、様々な織り地・色柄のバラエティを維持できなくなるに連れ、顧客は妥協して選択することが多くなり、裾上げ以外のお直し(ウエスト/渡り/袖など)が生じて修理加工の費用と期間が嵩むようになる。それが限界を越えれば、パターンオーダーを選択する方が速く安く上がる。修理加工の費用はともかく、期間は1週間が分かれ目ではないか。

 中国で先行したオンラインCADCAM連携による採寸からワンウィークでの納品が我が国にも広がるに連れ(ビックビジョンやカシヤマ、SADAなど)、現実的なムーブメントとなった感があるが、既製スーツに代わるパターンオーダーとフルオーダーのニーズの違いが割り切れておらず、それが市場拡大の「ガラスの天井」になっていることが指摘される。

 オーダーでは最初の採寸接客に既製スーツの倍以上の時間がかかるから、人時効率が足を引っ張って利益が圧迫される構図を否めず、低賃金と利益の二者択一になりがちで、一品単価を上げようと顧客をフルオーダー方向に誘導する営業政策に流れることがある。グローバルスタイルもその例に漏れず、一品単価をかつての7万円から10万円前後に上昇させている。同社の23年7月期では一人当たり売上が3883.3万円、一人当たり粗利益が2076.4万円だったが、売上対比14.34%(販促費を合わせると18.93%)という膨大な広告費をかけて顧客を広げ、一人当たり人件費を360.4万円、平均年間給与を333.0万円(青山商事の496.0万円の67.1%)と異様に低く抑えて売上対比6.34%の営業利益を計上している。

高単価のフルオーダー方向に流れれば手頃なパターンオーダー客が広がらないから、いずれ限界が来る。事実、同社の売上はコロナがあったとは言え、膨大な広告費を投じても19年7月期から7.1%しか伸びていない。そうかと言って、フルオーダー志向に流れずパターンオーダーの効率を追求するオーダースーツSADAの一人当たり売上は1683.3万円にとどまり、同期間に売上は6.5%減少しているから、一品単価を上げたくもなる。

 オンラインCADCAM連携で納期は速めても、採寸接客の効率化という壁に阻まれ(2着目以降は効率化できるが)、「既製スーツに代わる手頃でインスタントなパターンオーダー」という巨大市場を掴めないでいるのではないか。2018年に500億円市場と言われ成長が期待されたにも関わらず、23年段階でもわずか(5%前後)しか伸びておらず、100万着強にとどまっているようだ。

「既製スーツに代わる手頃でインスタントなパターンオーダー」という戦略を明確にして、今風にイージーケアな機能性を備えた「量産既製服の縫製仕様」に徹し、シンプルな採寸接客とデジタル化で人時効率と納期の壁を越えるなら、現状に倍する市場拡大も可能だと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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