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WWD 小島健輔リポート
『四重インフレ不可避の2024年を乗り切る技と仕掛け』
(2024年01月10日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 円安による輸入インフレはようやく峠を越したが、24年は人件費と物流費のインフレが加速し、異次元緩和以来10年続いた「金利のない世界」も終わろうとしている。そんな四重インフレがのしかかる2024年はインフレ政策の一択とならざるを得ないのだろうか。

■転嫁不可避な四重インフレ

 円安はようやくピークを打ったとは言え、失われた30年の果てに生産性が停滞して一人当たりDGPが先進国最下位に転落し、貿易赤字が定着して資本収支で補っても経常収支の押し上げは限られ、縮小が止まらない国内市場に見切りをつけて海外市場への投資が加速する中では円安基調は変わらないから、かつてのような円高にはもう戻らない。長期的には70年代のような1ドル200円超へ転落していくという見方さえあるから、低コストな南アジアやアフリカに生産地を移転していくとしても、いずれ開発輸入に依存する調達体制は見直しを迫られる。ニトリやユニクロのお買い得感が薄れていく実感は否めないのが現実ではないか。

関税も消費税も回避して品質もサステナビリティもコンプライアンスも怪しい安売りを続けるSHEIN、親会社(中国のEC大手Pinduoduo Holdings)の豊富な資金力を背景に毎日1000万ドルという膨大な広告費を投入して赤字覚悟の安売りで短期の市場制覇によるIPOを目論むTemu(23年の売上は150億ドルを超えるが営業損失も36億5000万ドルに達すると見られている)はともかく、真っ当に関税も消費税も負担し品質もサステナビリティもコンプライアンスも担保して日本に開発輸入される衣料品は相応のコストがかかり為替にも左右される。

円安がピークを打ったとは言え、調達コストが下がるとまでは期待できそうもなく、コスト転嫁が途上の小売価格はまだ上がると見るべきだ。急激な円安で22年の衣料品の輸入単価は22.6%も高騰し、23年も1~10月で6.6%上昇しているが、衣料品の消費者物価は22年で1.9%、23年も1~11月で1.9%しか上昇していないからだ。

公正取引委員会が11月に公表した「企業間取引に関する指針」では発注者と受注者の定期的な価格協議を求め、協議なく支払い価格を長期に低く据え置くと独占禁止法や下請法に触れる恐れがあると警告しているから、仕入れ価格のコスト転嫁を拒むのは難しくなっている。それは24年問題(トラック運転労働者の残業時間が年間960時間に制限される)が現実化する物流費も同様で、コスト転嫁を拒めばお恐れながらと告発されたり、運べない荷物が生じたり後回しになったりしかねない。

インフレに賃上げが追いつかず10月で19ヶ月連続して減少する実質賃金も、2024年は大きく押し上げられる。労働団体(連合は「5%以上」、ゼンセンは「6%基準」の賃上げを要求)はもちろん経営者団体(日経社長アンケートでは5%台に集中)や政府まで加わって賃上げの大合唱になるから、賃上げに競り負ければ人材の流出や採用難は避けがたい。この業界では未だやりがい搾取感覚が抜けない経営者も少なくないが、賃上げに競り負けて賃金格差が広がればES(Employee Satisfaction)が低下して組織の活力も損なわれ、長期的な成長にも影を落とすことになる。

異次元緩和以来10年続いてきた「金利のない世界」も24年の早い時期に終わることになりそうだ。米国のようにプライムレートが8%台に跳ね上がるわけではなく異次元緩和以前の2%台に戻る程度と思われるが、それでも企業の借入コストは上昇する。金利が上昇すれば、投資資金の期待資本コストも上昇する。あずさ監査法人の調査によると、国内上場企業で開示した38社の平均株主資本コストは6.9%だったが、金利が高い海外投資家の求める水準は二桁に迫る。借入金利も資本調達コストも上昇が避けられないなら、企業は資金効率を高めるROA(総資産利益率)経営やROIC(投下資本利益率)経営を問われることになる。

※ROEとROA・・・ROE(Return On Equity)は自己資本利益率、ROA(Return On Assets)は総資産利益率。ROEを志向すると配当性向を高め自社株を買い入れて自己資本を抑制し、借入金などでレバレッジを掛けて自己資本効率を追求する。ROAを志向すると配当や自社株買いなどの資本流出を抑制し、自己資本を蓄積して財務の安全性と経営のフリーハンドを高める。

※ROIC・・・・投下資本(自己資本+有利子負債)に対する利益率。

■インフレ政策一択ならMDの技が問われる

価格政策にはインフレを企業努力?で吸収する「デフレ政策」と販売価格に転嫁あるいは積極的に上乗せする「インフレ政策」があるが、24年はインフレ政策の一択とならざるを得ない。今回のインフレを失われた30年のデフレを脱して2%前後の安定的インフレとそれを上回る賃上げの好循環へ脱皮する契機としたいのが政府と日銀、産業界と労働団体の総意であること(国民の総意とは限らないが)、公正取引委員会もインフレ下で下請けや仕入れ先が不利益を強いられないようコスト転嫁を支援する方針を明確に打ち出していることを慮れば、取引先に企業努力によるコスト吸収を求めては摘発されて逆賊の汚名を着せられかねず、賃上げを抑制すれば従業員の離反を招きかねず、デフレ政策という選択は無理がありすぎる。

何もかもがインフレする中で「デフレ政策」に固執して取引先や従業員にコスト抑制を強いる会社は取引先に見限られ、従業員のモチベーションも下がって負のスパイラルから抜け出せなくなる。四重インフレが逆らえない時流だとすれば、逆らうより波に乗る方が得策ではないか。インフレスパイラルの波に乗れば取引先も従業員も盛り上がり、不可能と思って来たことも実現してしまうかもしれない。時流のスパイラルとはそんなものだ。とは言っても限度はあるし、永遠に続く訳でもないから、顧客や経済情勢、ライバルや取引先を見て慎重に仕掛ける必要がある。

四重インフレのいずれも回避は困難だから販売価格に転嫁するしかないが、下手をすれば値上げ以上に客数や買上点数が減って売上減少を招きかねない。生鮮食品とエネルギーを除く総合物価指数は10月まで7ヶ月連続して4%台を続ける(11月は3.8%に減速)一方、日常で購買頻度の高い44品目の平均上昇率は8.3%に達しているから、価格抵抗感の強い客層やカテゴリーでは平均4.0%、ファッション性が高い客層やカテゴリーでも平均8.0%が値上げ幅の限界と見るべきだろう。11月28日掲載の『アパレルの「客単価」と「客数」からマーケットポジションを検証する』でも、この枠を超えた値上げ(客単価上昇)は客数減で相殺されることが伺える。

 値上げするにも品目や時期を分散させたり新素材に切り替えたり、価格変更が目立つ継続の定番品を避けてトレンド品など新商品に上乗せするなど、目立たぬよう抵抗感を回避するデリケートな工夫が必要だ。とは言え衣料品では食料品のような「ステルス値上げ」(容量削減)は困難で、用尺をケチっては着こなしも体型も制約して売り上げが落ちるのは必定だ。素材を落とせばコストを抑えられるが、今時の消費者は見た目や肌触りで敏感に嗅ぎ取ってしまう。

縫製現場の視点から著名ブランド/ストアの闇を暴いて人気沸騰のYouTubeチャンネル「わたぬき社長・アパレルの勝算」(23年7月31日登録で1月6日段階チャンネル登録者数6.75万人)でも「グローバルワーク好調の肝はレーヨン多用の柔らかい肌触りとポリエステルの機能性」と喝破していたが、一般消費者にも素材の風合いや機能は分かり易い。

わたぬき社長は「アパレルの価格は縫製工賃で決まる」が信条だが、工賃は生産地の人件費とロット、ラインの繁閑を反映するものであって、縫製品質を落としてもコストに大差はない。パターンと仕様を簡素化すれば工数が減って工賃を落とせるが、商品の魅力はそれ以上に損なわれる。工業ミシンによる縫製仕様は基準が明確だから(高価な専用ミシンが前提だが)、検品をクリアできる縫製品質でコストを落とすのは無理がある。

インフレ政策を採るなら素材をワンランク奢るのが効果的で、品質感を際立たせる始末に一手間(=追加工賃)かけてハーフラインあるいはワンライン上のプライスを付けるのが定石だろう。

 

■集客カテゴリーと「粗利率ミックス」

目立たぬ値上げで粗利益を確保する手法として、「松竹梅3段価格構成」と「カテゴリー別粗利率ミックス」が挙げられる。前者については12月6日掲載の『アパレルマーチャンダイジングの定石を問う』に詳説したのでご参照いただくとして、「カテゴリー別粗利率ミックス」を解説しておこう。

一般に「粗利率ミックス」と言われるのは、価格訴求で集客する低粗利益率のカテゴリーと付加価値の乗った高粗利益率のカテゴリーを組み合わせて売上高と粗利益率を両立させる手法で、ドンキ(PPIHの「ドン・キホーテ」)が意図して低粗利益率にした食料品の価格訴求で集客し、粗利益率の高い雑貨や衣料品を売って粗利益を確保していることはよく知られている。食料品の中でも、粗利益率の低いグロサリー(加工食品、粗利率19.8%)や日配品(同23.1%)を目玉に集客し、粗利益率の高い水産(同27.8%)や畜産(同28.3%)、惣菜・弁当(同37.8%)で利益を確保する粗利率ミックスがスーパーマーケットの定石とされる(粗利益率は業界3団体が公表した『2023年スーパーマーケット年次統計調査 報告書』による)。

ドラッグストアで盛んな「フードプラス戦略」は購買頻度の高い(粗利益率は低い)食品で集客し、粗利益率の高い医薬品や調剤、化粧品を売って粗利益を確保し、利益の根幹である調剤薬局客数を押し上げるもので、最近は均一価格雑貨コーナーで集客するドラッグストアも増えている。ちなみに、ドラッグストア最大手のウエルシアホールディングスの23年2月期の粗利益率は医薬品等が40.6%、調剤が38.7%に対して食品は18.5%で、全体では30.5%に着地している。「フードプラス戦略」は売上絶対額を押し上げる効果も大きく、2億円台前半だったドラッグストアの平均売上規模を4億円超に押し上げ、人時効率も大きく改善した。ならば、アパレル店でも低粗利益率のカジェット菓子や均一価格雑貨を併設して客数を稼ぎ、衣料品で粗利益を確保するカテゴリーミックスが試みられても良いのではないか。

■ハイタッチのソリューションが顧客を惹きつける

 四重のインフレを販売価格に転嫁せざるを得ないとすれば、MDスキルで抵抗感を和らげたり高頻度の集客カテゴリーを併設するにしても、相応のインセンティブかモチベーションがないと客数の減少を招きかねない。ポイント付与率上乗せやクーポン配布、タイムセールなど価格転嫁を相殺しかねない施策は避けたいなら、熱量あるタッチポイントを拡充して顧客の好感度と来店頻度を高めるのが得策ではないか。類似商品と価格が比較されてしまうネット販売ではチャット機能などを活用してタッチポイントの確保に努めているが、もとより販売員が接客する実店舗ではどのような施策があるのだろうか。

 人手不足と人件費上昇を背景にセルフレジやレジレス決済が拡大してタッチポイントが減少するスーパーマーケット業界では、熱量あるタッチポイントと中食・外食需要の取り込みで客数と売上を拡大する「ミールソリューション戦略※」が注目されているが、アパレルストアではどのようなソリューション戦略が可能だろうか。消費者の関心が集中しているのは、値上げ局面でお値打ちを見極める「品質ソリューション」、自分の体型や顔色・髪色・瞳色、ライフスタイルに合う服やコーディネイトを見極める「フィットソリューション」ではないか。

不勉強な業界人は疎いレヴェルの品質知識を一般消費者が知りたがる状況は前述した「わたぬき社長・アパレルの勝算」の人気沸騰(毎日2000人近くもチャンネル登録者が増えている)でも想像が付くし、ECやSNS、動画投稿サイトにはコーディネイト提案や骨格診断、カラータイプ診断が氾濫しているから、消費者の関心が高いのは疑う余地もない。今時は素材知識や縫製知識はもちろん、骨格診断やカラータイプ診断の知識が無いと接客にも事欠くほど消費者側の知識が高まっている。

プライスタグや洗濯ラベルに記載されている以上の品質を見極めるには、糸の特性、素材の織り組織や物性、後加工や付加機能はもちろん、デザインやパターンの特性、縫製仕様や糸始末、縮絨仕上げやプレス仕上げまで精通しなければならないが、商品の外見だけから全てを見抜くのはベテランバイヤーでも難しい。近年はECの商品説明が詳細になって、混率だけでなく織り組織や物性、完成品の生産地だけでなく糸や素材からの生産履歴を記載するケースも増えているから、販売員もスマホ片手に自社ブランドのECサイトを見ながら接客するのが常態になっていくのだろうか。

そんなECサイト頼りの接客にハイタッチなコミュニケーションを加えるにはスマホで操作できる大型モニターが必定で、スマホの画面形状やコーディネイト画像を考えればミラー型デバイスに収斂されていくと思われる。ミラー型デバイス(動画投稿サイトも縦型シフトが顕著)のモニターと鏡面を切り替えたり並列してフィットソリューション接客するのが当たり前になるのも時間の問題かもしれない。本部や他店にいるスペシャリストがリモートで加わったり、AIが顧客のプロフィールや購買履歴、その場の要望から推奨するコーディネイトを顧客のアバターに着せてポーズを取らせたりも日常の風景になるのだろう。

熱量のあるエンタメ性ということでは人が主役のアナログイベントの方が魅力的で、リテールメディアが急拡大する米国でも食品や日用品、化粧品などの試供実演販売が再評価されている。アパレルストアでもオープンキッチンならぬオープンファクトリーのプレスサービスや裾上げ、職人が解説する縫製工程イベント(工程別の工業ミシンを並べて実演)、ワークマンお得意の機能実演(防水撥水・透湿など)、汚れ落としやボタンのつけ直し、解れ直しの実演なども関心を集めるのではないか。今の一般消費者は業界人以上に品質や縫製に関心を持っているのだから。

※ミールソリューション戦略・・・食品の店内加工・調理とイートインで中食・外食需要を取り込んで売上と客数を稼ぐとともに、オープンキッチンによる加工・調理の実演と手渡しという熱量あるタッチポイントで賑わいを演出する。米国のミールソリューション型繁盛スーパーはニューヨーク州拠点のWegmansなど、一万平米に迫る大型店で平均一億ドル超を売り上げて数百店を展開するチェーンが台頭している。 

 

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