小島健輔の最新論文

ファッション販売2002年9月号
『裏原ビジネスに学ぶ商いの原点』
(株)小島ファッションマーケティング代表取締役 小島健輔

今や表より人が溢れる裏原宿

 事務所が表参道裏の一角にあるものだから、仕事で原宿駅まで歩く時など、岩永ヒカルの「BOUNTY HUNTER」の細い角を曲がって藤原ヒロシの息の掛かった「HEAD PORTER」の前を抜けていく事も多い。平日の昼前から似たような裏原スタイルの若者が路地に隠れるように並んで入店を待つ姿を見かける事もしばしばで、会社や学校はどうしているのかなと心配したりもする。週末に仕事があってこの界隈を行き来すると、表の参道や明治通りより混雑が激しくて、つい裏の裏に回避してしまうが、最近はそんな裏路地まで人込みで溢れている。  絶対通行量は表ほどではないのだろうが、何せ道は狭いし、目当ての店や品を求めて限られた界隈を行ったり来たりする若者が多く、込み合ってしまう。そこに納品のトラックが停まったり怪し気な露店商が路上に小間店を広げたりするものだから、縁日の参道のような雑踏になってしまう。
 人込みだけでなく、裏原宿界隈の人気店の販売効率は店の狭さもあって明治通りや表参道の比ではない。直感的なバランスで言えば、裏原宿の人気店の販売効率は明治通り路面店の三倍、表参道の十倍程度というのが目安ではないか。超がつく高い家賃を払って表参道を占拠している外資ラグジュアリーブランドの経営陣はこの事実を知っているのだろうか。

若きカリスマ達の交流が熟成させた裏原宿

 93年に長尾智明(NIGO)と高橋盾(JONIO)が「NOWHERE」というセレクトショップを開いた頃からじっくりと熟成して最近のブレイクに到達した歴史があるから、誰しも今更と尻込んでしまう話だが、巷間に伝えられるストーリーは大体一致している。もっと古い話になると80年代の華やかなりし東京コレクションの大川ヒトミとか90年頃のセックスピストルズの活躍に遡るが、ファッションビジネスとしての裏原宿は「NOWHERE」から始ったと見て良いだろう。
 カリスマDJで音楽プロデューサーの藤原ヒロシ(公式非公式を問わず、数多のブランドに関与)、ショップディレクターの長尾智明(「A BATHING APE」)、デザイナーの高橋盾(「UNDER COVER」で東京コレクションにも参加)、ロックDJでオモチャコレクターの岩永ヒカルといったマイナー世界?の若きカリスマ達の交流がマイナー志向のグラフィックデザイナーやアーチスト、こだわり職人達まで巻き込み、裏原宿という界隈に時代の価値観やライフスタイル、テイストが通底する『百人の村』が自然発生していったと見るのが自然であろう。
 少なくとも、最近のキャットストリートのような資本家やプロデューサーによる地域開発の仕掛けはなかったはずだ。強いて仕掛けと言うなら、マイナーを主張してメジャーとなっていった「宝島」(今は若者向けのビジネス誌になってしまい、ストリートファッション誌としての役割は「スマート」と「ミニ」に継承されている)とカリスマ達の表裏一体の動き、カリスマ達を軸に様々なコラボレーションが積み上げられていった事ぐらいではないか。
 では今はメジャーなのかと言えば、マーケットの規模はともかく、裏原カルチャーの根っこはマイナーを脱してはいない。相変わらず、新作の売り出し日などの情報は個人的なネットで不確実に流されているし、デザイナー名を伏せて憶測の人気を呼ぶブランドなど、おたくな裏原ファンを振り回す如何わしさは十分に残っている。ただ、そこに集まる店と若者の絶対数が増え、各ブランドが地方都市に気心の知れた小数の卸先を開拓して全国化し、メジャーなカジュアル市場にも大きな影響を与えるようになったに過ぎない。
 直営店を展開するブランドは「BUSY WORK SHOP」(「A BATHING APE」)、「STUSSY」など少数で、その拠点数も限られている。その分、各店舗への通販希望、ユーザー間のネット上での売買は過熱気味で、マイナー気分を盛り上げている。各地方都市の卸先も地域のマイナーエリアに点在しており、あくまでマイナーが全国化した状況にある。

裏原村の市の構造

  裏原のファッションビジネスは、マイナーなストリートブランドを扱うおたくなセレクトショップから服飾専門学校生臭いクリエィターブランド、異分野のアーチストが片手間に手掛けるグラフィックが売りのマイナーSPA等、ルーツは様々で、ブランドとショップ、アーチストやカリスマが表や裏で様々にコラボレートしているから、DC系ともセレクト系ともSPA系とも言い切れない。それらの様々な要素やスキルが混在してビジネスが成り立っていると思われる。
 共通しているのは予算や組織の統制とは無縁であること、商品の創りや面にこだわって限られた企画の少量限定生産に徹していること、直営店にこだわらず気心の合うショップに卸すブランドが多いこと、世間のトレンドに囚われず村の中だけのスタイルやこなしの変化に敏感なこと、等であろう。
 結果として、新作の売り出し日には村のそこそこで若者の行列が見られ、一瞬の内に完売した商品の幾許かは村のユーズドショップに持ち込まれ、その日の内にプレミアムがついて店頭に出る。買い損ねた人は、それでも喜んで買っていく。裏原の人気ブランドの商品は型数も流通量も限られているので、時間が立てばヴィンテージのプレミアムが上乗せされていく。レアなコラボレート物や人気タレントが愛用したアイテムはなおさらで、裏原にはまったおたく達は小遣いの大半を注ぎ込んでしまうとか。
 需要と供給のあまりに大きなギャップがもたらす二次流通の存在は、「エルメス」や「ヴィトン」「ローレックス」等の人気ラグジュアリーブランドの売れ筋アイテムとも共通しており、規模では大差があるものの、それぞれに新品、ユーズドの二次流通業界が成立している。  裏原の村にはカリスマの手掛ける、あるいは息がかかったコアのブランドを扱うショップ、その二次流通を手掛けるユーズドショップ、虎視眈々と次のコアの座を狙う新興組、パクリに徹っしてローカル客を狙う追従組、ユーズドから偽物まで扱う露天商まで、玉石様々な商人達が蠢いている。そこに群がる客の方も、毎週のように裏原に通って新作やレア物を嗅ぎ回る真正おたくからストリート雑誌片手にうろつくローカル客、新参客まで実に様々で、丁度いい具合に村の市は盛り上がっている。
 コアのブランドにしても、パクリや偽物に神経を尖らせる訳でもないし、自ら量販して需要を吸い上げようなどとは夢にも思っていない。そこには成長や寡占といったアングロサクソンぽい強欲な発想は無く、神々が自らの手からこぼれ落ちる穀物を様々な地上の民に分け与えるかのようなおおらかさに徹している。だから村は潤い、人々が集まって来るのだ。
 こんな裏原村の商いの姿をマイナーと言うか原始的と言うかは勝手だが、日本の流通業やファッションビジネスがアメリカナイズされて失ってしまった『市の商い』の本質がそこにはありありと見られる。最近は外部のファッションビジネスが割り込んで来たり、美味しい所をパクッてファッションビルや丸井で商売にしているが、学ぶべきはそんな表層的なものではないし、裏原村の市の構造も変わらないと思う。

女の子達が裏原をメジャーにしてしまった

 とは言え、それは男の子の世界に限ったお話であり、裏原スタイルの女の子への拡がりは否応無しに裏原をメジャー世界に引きずり出してしまった。その起点は意外に早く、「X-girl」(LA発)が95年5月にラフォーレ原宿に最初のショップを開設した時点から火が付き始めていた。
 やがて2001年1月に「A BATHING APE」からレディスラインの「BAPY」(神宮前小裏の青山店)がデビューするに至って『裏原スタイル』が女の子達の間で大爆発。続く3月のラフォーレ原宿の大リモデルで「X-girl」がB1Fの一等地を占め、フォレット原宿のB2Fに「アースミュージック&エコロジー」がオープンして『裏原スタイル』は一気にメジャーとなった。
 『裏原スタイル』はその後、表原宿から109まで巻き込んでボーイライクスタイルの大奔流に変質し、渋原化現象が全国的なムーブメントとなってしまったが、その一方で「BAPY」や「X-girl」といったコアなブランドはメジャーながらブームとは一線を画している。
 とは言え、女の子達の『裏原スタイル』ブームは、おたくっぽい男の子達が蠢いていた裏原宿を決定的に変えてしまった。週末にはこ汚い裏通りにカップル客が溢れ、「BAPY」前にはキャピキャピとした女の子達が群れている。そんな状況に嫌気がさしたのか、今年3月には「UNDER COVER」が裏青山に脱出。マイナーでいたい連中は代官山の裏通りや目黒川沿いの中目黒あたりに新天地を求めている。

裏原に学ぶ商いの原点

 ファッションビジネスの潮流は工業的な効率を追求した前世紀から一転して、手工業的な味わいや人の手が介在する流通を志向しているが、それとて成長と利益の追求を軽視するものではない。その意味では、セレクトショップもほどほどのメジャーを志向する新たなビジネスモデルのひとつなのかも知れない。が、『裏原村の市』は商業集積の在り方としては希有な成功モデルたりえても、個々の事業者にとっては『成長と寡占による利益の極大化』というアングロサクソン的展望を欠いている。
 むしろ、過度の寡占や成長を自制してマイナーの枠に留まり、『商売の上手いやつも下手なやつもそれなりに楽しく暮らせるコミューン』という社会主義的な発想を強く感じる。その意味では、裏原宿はおたくなカリスマ達が築き上げた現代の『美しき村』なのかも知れない。  ライバルを蹴落とすのではなく、互いの力を活かしてコラボの輪を拡げ、パクリも偽物も大目に見てマーケットの裾野をしっかりと拡げていく。だからこそカリスマとしての評価はさらに高まり、それがまた共感する者や追従する者の輪を拡げて村が発展していく。村起こしや街起こしには欠くべからざる思想と言うべきではないか。
 前世紀末の日本はグローバルスタンダードやアングロサクソン的攻撃性に蹂躙され、島国の村社会が保って来たほどよいコミューン精神を失ってしまった。生き馬の目を抜くビジネス社会では当然のルールなのかも知れないが、人としての旬に至らぬ者も旬を過ぎた者も放り出してしまうような経営がベストとされる風潮の中、裏原コミューンの成功は近江商人にも通ずる商人としての原点的な生き様への回帰を啓示しているように思えてならない(ありゃ、これって「商業界」だったっけ)。

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