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『ヴィクトリアズ・シークレット売却の深淵』(2020年03月02日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 米国Lブランズ社が傘下のランジェリーブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」を投資ファンドに売却し、創業者のレスリー・ウェクスナー氏も会長兼CEOを辞任することになった。その直接の引き金は業績の落ち込みだったが、女性の美と性の価値観が半世紀で一変したことが大きかったのではないか。

ヴィクトリアズ・シークレットの凋落

 昨年5月20日に掲載した『今、女性の下着に何が起こっているのか』でも報告したように、米国最大のランジェリーブランドに上り詰めた「ヴィクトリアズ・シークレット」も米国女性のライフスタイルと美意識や性意識の変化に目を背けて人気が凋落し、とうとう売却される羽目になった。投資会社のシカモア・パートナーズに55%の株式を5億2500万ドル(約580億円)で売却して経営権を譲り、創業者のレスリー・ウェクスナー氏はLブランズの会長兼CEOも辞して名誉会長に退く。

 ヴィクトリアズ・シークレットを追い詰めた一因といわれるヨガウエアのルルレモン・アスレティカ社の株式時価総額が35億ドルに上昇する一方で「ヴィクトリアズ・シークレット」の事業価値は11億ドルと見積もられ、その売却が好感されて一時は16ドルを割るまで売り込まれていたLブランズ社の株価が2月21日には24ドル台を回復し、時価総額も66億5500万ドルまで戻したのは皮肉というしかない(その後はパンデミックで株式全般が急落したが)。

「ヴィクトリアズ・シークレット」の売上げピークは16年(17年1月期、以下同)の77億8100万ドル、営業利益ピークは15年の13億9100万ドル(営業利益率18.1%)で、18年は売上げ73億7500万ドル、営業利益4億6200万ドル、営業利益率6.3%に低下し、19年は売上げが68億450万ドルと7.7%減少して6億1610万ドルの営業損失に転落している。

 既存店舗売上前年比(店舗のみ)も15年の105から16年は99、17年は92、18年も94と勢いを失い、19年は91と2桁割れ寸前まで落ち込んだ。ダイレクト売上げ(EC)も第4四半期には91.8と落ち込み、19年計でも96.9と前年を割り込んだ。

 2001年からテレビ放映が始まった「ヴィクトリアズ・シークレット」のド派手なランジェリーショーは11年のピークには1030万人が視聴したが、18年は327万人まで減少して打ち切られ、19年にはショー自体も休止に追い込まれた。

女性下着はヘルシー&アクティブに

「ヴィクトリアズ・シークレット」が落ち込む一方で伸びていったのが、アメリカンイーグルの健康的で若々しいキャンパスランジェリー&ドームウエアの「エアリ」と機能的なヨガウエアの「ルルレモン」だった。

「エアリ」は15年頃から伸びが加速し、既存店売上前年比は15年(16年1月期、以下同)の120、16年の123、17年の127、18年の129とぐんぐん伸ばし、既存店売上げが落ち込む一方の「ヴィクトリアズ・シークレット」を一時は40ポイントも引き離した。19年に入っても2桁増が続いて第3四半期は120と、93と低迷する「ヴィクトリアズ・シークレット」を27ポイントも引き離している。売上げの規模こそ18年で6億4570万ドルと「ヴィクトリアズ・シークレット」の9%にも届かないが、前期から30.9%、前々期からは62.6%も伸ばしている。

「ルルレモン」も年々、売上げを伸ばして18年(19年1月期、以下同)は24.1%増の32億8832万ドルに達し、7億584万ドル(21.5%)の営業利益を稼いでいる。売上規模はまだ「ヴィクトリアズ・シークレット」の44.6%だが、営業利益は「ヴィクトリアズ・シークレット」の1.5倍を超える。

 両者の差を広げているのはヘルシーアクティブとセクシーエレガンスのコンセプトの違いだけでなく、ECへの対応も明暗を分けている。「ルルレモン」のEC売上げが前期から48.7%も伸びて全社売上げの26.1%に達し、営業利益の過半(50.1%)を稼いでいるのに対し、カタログ通販を16年まで引きずった「ヴィクトリアズ・シークレット」のD2Cはデジタルシフトに手間取り、16年の15億8200万ドル(EC比率25.5%)から17年は15億0800万ドル(同20.4%)と後退。EC特化の体制が整った18年は17億4700万ドル(同23.7%)と再成長に転じたものの、収益体制とC&C利便を確立した「ルルレモン」との格差は大きく、19年は16億9300万ドル(同24.9%)と再び減少している。

 女性の労働力化が加速する中、下着にもセックスアピールより機能性やイージーケア、自分感覚の心地よさが求められるようになり、セックスアピールを過度に訴求してきた「ヴィクトリアズ・シークレット」はデザイン優先の品質不信や割高感も加わって人気を失い、ついには経営陣のセクハラスキャンダルが致命傷となった。

※ドームウエア(Dormitory Wear):学生寮やキャンパスで過ごすTPOレスなワンマイルウエアでスウェットアイテムが多く、健康的なヤンキースタイルともいえる。

買収と売却・スピンアウトの見切り

 レスリー・ウェクスナー氏は63年にリミテッドを創業して69年には株式を公開し、82年にはNY市場に上場。同年にランジェリーの小規模ブランド(買収時は6店舗とカタログ通販)だったヴィクトリアズ・シークレットを100万ドルで買収し、世界最大のランジェリーSPAに育て上げた。業績が陰ってブランドイメージも落ちたとはいえ、前年まで稼いでいた(18年の営業利益は約500億円)事業をなぜ、いとも簡単に手放すのだろうか。それはウェクスナー氏の見切りの良い経営感覚とエロスの美学の両面から語られるべきだろう。

 ザ・リミテッドInc.は82年のヴィクトリアズ・シークレットとレーンブライアントに始まって、85年にはヘンリ・ベンデルとラーナーを買収。88年にはオッシュマンズからアバクロンビー&フィッチを購入している。90年代に入っては自社開発のリミテッド・トゥー(ティーンズファッション)やストラクチャー(メンズファッション)、バス&ボディワークス(ボディケアコスメ)やヴィクトリアズ・シークレット・ビューティ(コスメ)の多店化を進めて97年決算ではアパレル3913店/非アパレル1710店を擁する世界最大のファッション小売チェーンとなったが、96年のアバクロンビー&フィッチの株式公開を皮切りにアパレルビジネスを次々とスピンアウトや売却で切り離し、07年には基幹アパレル事業のエクスプレスとリミテッドまで売却。ランジェリーとHBAに特化したLブランズ社に変貌した。

 アパレル事業のスピンアウトや売却の多くはブランドがまだ成長期にあった段階で行われ、Lブランズ社とウェクスナー氏に膨大な売却益をもたらした。最も成功したスピンアウトといわれたのが88年に4521万ドルで買収して96年に株式公開したアバクロンビー&フィッチで、96年6月と98年8月の株式売却で計17億6918万ドルを手にしているから、名目で39倍、物価上昇を差し引いても28倍もの投資利潤を得たことになる。

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 アパレル事業を放出した背景は、ウェクスナー氏の見切りの良さに加え、トレンドや天候に振り回されるアパレルビジネスに嫌気がさしたからだと当時の米国業界ではささやかれていた。とことん壁に当たっても往時の成功体験が忘れられず旧態な事業にしがみつくわが国のアパレル経営者に比べれば、見切りの良さには感服させられる。

エロスの帝国は終わった

 そんなウェクスナー氏には、もうひとつの一面がある。1937年にオハイオで生まれ60年代にアパレルビジネスに飛び込んだ同氏のファッション感覚と美意識は、当時のパリやロンドンのモードに強く感化されていた。91年3月にモダン・アールデコスタイルのヘンリ・ベンデル(1920年代にパリモードをNYに紹介した)旗艦店をNY五番街に開店した当時、リミテッドやエクスプレスの販売員が「ボンジュール マダーム」とフランス語で来店客にあいさつしていたのにはさすがに驚いた。

 ウェクスナー氏は現代美術への造詣も深く、89年には出身校であるオハイオ州立大学に「ウェクスナー芸術センター」を寄贈しているが、美意識の原点はモダンアールデコとサイケに彩られた60〜70年代モードのエロスにあったのではないか。

 ヴィクトリアズ・シークレットのド派手なランジェリーショーはパリのナイトクラブのレビューにも通ずる華やかなエロスが特色だったが、フリーセックスが信奉された60〜70年代のファッション美学には愛と官能のエロスが通底していた。当時のファッションブランドの広告にはラブシーンとヌードがあふれていたが、すっかりストイックになった今日ではスキャンダルにしかなるまい。

 当時は“フィーリング”ともてはやされた愛と官能のモード美学も半世紀を経た今日ではセクハラでしかなくなり、ウェクスナー氏は自らの美意識が時代と合わなくなったことを悟って「ヴィクトリアズ・シークレット」を見切り、Lブランズの経営からも一歩、身を引く決断をしたのではなかろうか。ウェクスナー氏の「エロスの帝国」は終わったのだ。

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