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WWD 小島健輔リポート
『イトーヨーカ堂「アパレル事業撤退」の教訓』
(2023年03月14日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 セプン&アイ・ホールディングスは3月9日、イトーヨーカ堂の店舗を23年2月期末の126店から33店撤退して26年2月期末までに首都圏中心の93店に絞るとともに、アパレル事業から撤退して「食」を軸にコンビニ事業とSM事業、スーパーストア事業を連携する事業再構築を決定した。前世紀には衣料部門を稼ぎ頭にジャスコ(単体、現イオンリテール)を凌駕するほどの高収益を誇ったイトーヨーカ堂が釣瓶落としに業績を悪化させ、ついには祖業(1920年に浅草で開業した洋品店「羊華堂」)のアパレル事業から撤退するに至った転落劇から何を教訓として学ぶべきだろうか。

 

■グループ経営の足を引っ張ったイトーヨーカ堂のアパレル事業

 セブン&アイ・ホールディングスは23年2月期第3四半期に過去最高の売上と営業利益を計上したことを契機に(21年5月に米国7-Eleven.incが買収した米コンビニチェーン「スピードウェイ」が貢献)、コンビニ事業を核に「食」にフォーカスしてSM事業やスーパーストア事業を連携する事業戦略に集中し、業績の足を引っ張ってきたスーパーストア事業(イトーヨーカ堂)のアパレルから撤退することを発表した。同じく足を引っ張ってきた百貨店事業(そごう・西武)も売却するのに、なぜかバーニーズ・ニューヨーク事業は継続するというミステリーは残るが、アパレル業界にはショッキングなニュースだった。

 コンビニ事業中心に「食」にフォーカスする戦略とて、強力な専業SMチェーンや食品のラインロビングを加速するドラッグストアチェーン、マイバスケットなどのミニスーパー(セブン&アイも「SIPストア」で対抗する)に挟まれ、コンビニ加盟店オーナーの成り手減少やパート&バイト労働力の逼迫と時給高騰(もはや外国人頼りが定着)で安泰とは言えないが、慢性的過剰供給の果てにコロナ禍で8掛けに萎縮したアパレル市場よりは遥かに期待できるという判断なのだろう。

 スーパーストア事業(イトーヨーカ堂)の店舗数ピークは16年2月期末の182店舗だが、売上ピークは99年2月期の1兆5451億6100万円で、年々減少して22年2月期は1兆675億4500万円とピークの69%に縮んでいる。15年2月期以降は20年2月期を除いて純損失が連続しており、純資産も減少の一途で、もはや過去の利益を食い潰して存続している状況だった。

純利益のピークは06年2月期の513億2200万円だったが財務的押し上げ要因もあり、実質稼ぎ(営業利益)のピークは96年2月期の657億6100万円だった。07年度(08年2月期)以前の指標は断片的にしか辿れないが、92年度の平米当り販売効率が1081千円だったのが99年度には745千円、08年度には674千円、16年度には564千円と釣瓶落としに低下。以降は販売効率の低いライフスタイル部門(衣料と住関連)を圧縮して食品への集中を進め、直近の21年度では622千円まで回復している。他社の事例を見てもスーパーストア事業(GMS)では食品部門の販売効率は衣料部門の4倍以上で、衣料品を圧縮して食品を拡大すれば販売効率は確実に高まる。

イトーヨーカ堂衣料部門の売上はピークの96年2月期の4568億円から06年2月期には3073億円と67%に萎縮し、15年2月期には1933.5億円と2000億円を割り込み、20年2月期には1175億円とピークの25.7%まで落ちている。以降は住関連と統合したライフスタイル部門の売上しか開示されていないが、直近の22年2月期は2199億8500万円と20年2月期の2859億8500万円から77%に減少しているから、衣料売上は1000億円を割り込んで900億円程度まで落ちたと推計される。実にピークから5分の一以下への激減だ。

イトーヨーカ堂商品売上に占める比率も、96年2月期は35.3%もあったのが07年2月期には19.5%と20%を割り込み、20年2月期には10.2%まで落ち込んで21年2月期以降は一桁に落ち、22年2月期は8.7%ほどに落ちたと推計される。稼ぎ頭だったのが02年2月期には赤字に転落し、以降は浮上しなかった。

いったい、これほどの凋落劇がどうして起きてしまったのか。そこにはアパレル業界のみならず小売業全般、ひいては全ての組織運営と経営に通ずる教訓がある。

 

■イトーヨーカ堂衣料部門の凋落要因

 イトーヨーカ堂衣料部門の凋落は衣料消費の長期低迷やユニクロの急成長といった外部要因もともかく、92年10月に代表取締役社長に就任した鈴木敏文氏による「行革」が主な原因だったと思われる。

MDの効率化(高消化率・高回転)を志向して数値(POSデータ)に基づく売れ筋への絞り込みを推し進めた結果、品目数が絞られてSKU数が半減し、品揃えのバラエティと変化が損なわれて売場がつまらなくなり、顧客が離反して売上が落ち込んだ。売れ筋への絞り込みと縦売りは一見は合理的だが、客数が限られる立地では縦売りも限られる一方、次に売れ筋になるかもしれない芽を摘んだり、売れ筋ではない売上の集積を切り捨て、却って売上を減少させてしまう。「パレートの法則」は十分な市場規模を前提としたもので、客数の限られる近隣商圏では過度に依存すべきではない。

数値経営を徹底する鈴木氏が衣料部門の好調を支えてきた売場運用(週サイクルの編集陳列・模様替え)を否定したことも、現場の士気と販売消化の低下を招いて売上の減少を加速した。経営陣はその結果を方針の過ちではなく徹底の不足と捉え、結果を出せない現場を激しく叱責して一段と絞り込みを徹底したから、現場は萎縮して思考力も遂行力も低下し、売上も消化も加速度的に悪化していった。

イオンのモール戦略に対抗して郊外や地方に店舗を広げたことも、絞り込み政策とは相容れなかった。首都圏の高密度立地で成り立っていたイトーヨーカ堂衣料品の高販売効率は郊外や地方の低密度立地では成り立たず、少ない客数に絞り込んだ品揃えでは売上は期待を大きく下回った。

一般に、客数の少ない郊外や地方では品揃えの間口を広げて品目を揃え買い上げ率を確保しないと売上が稼げないが、客数の多いターミナルやダウンタウンでは品揃えの間口を絞っても、コンセプトを明確にして品揃えの奥行きを持てば縦売りで売上が稼げる。ユニクロは98年以降のコンセプチュアルな開発型SPAへの進化にともなって、客数の限られる地方のロードサイドから多数が来店する都心のターミナルや郊外モールへ立地を移していったから(上りシフト)、品揃えを絞っても客数増で縦売りして売上を伸ばしたが、下りシフトしながら品揃えを絞っては萎縮の自乗になって売上が落ち込んでしまう。良品計画がユニクロとは逆に、下りシフトを加速しているのは悲劇の予感がする。

イトーヨーカ堂衣料品の過ちを忘れ、似たような効率化の誘惑に流れたコロナ前のしまむらは顧客が離反してジリ貧に陥ったが、コロナを契機に原点回帰してベンダー活用でバラエテイと鮮度を回復してから一気に業績が上向いた。

立地を上らないでMDの絞り込み効率化を成功させるには、取り寄せ試着やBOPISなどEC客の店舗誘導やSNS支援など来店客数を増やす施策をしながら計算尽くの単価アップを仕掛けていくしかない。インフレ局面という時流やサプライチェーンの深耕を要するが、上手くすると客数増の単価アップで一気に駆け上がることが出来る(前回リポート「インフレを勝機にする計算ずくのアパレル値上げ」を参照されたい)。

※パレートの法則・・・・全体の8割は2割の要素が占めるという偏在を指すもので、この場合は「売上の8割は上位2割の品目が占める」という使い方をする

 

■学ぶべき教訓

 イトーヨーカ堂衣料部門の凋落から学ぶべき教訓は、商圏規模(客数)と品揃えの間口(バラエティ)、売り手都合の効率化と顧客利便の折り合いなど小売の基本原則に加え、経営方針の現実対応や組織のあり方、経営リーダーの賞味期限が挙げられよう。

 どんなに優れた経営理論であっても、個別企業の置かれた時と場所によっては逆効果になることがある。現場対応ではPDCAが定着しても、トップが決めた経営方針は結果検証に色眼鏡がかかり、適切にPDCAが回らないことがある。期待と異なる結果を直視せず、不徹底だったとか手法が誤っていたとか決めつけて何度も再挑戦し、組織と資本を消耗させてしまう。勘違いに固執して墜落に至る航空事故のパターンと極めて似ていると言っては不謹慎だろうか。

 突出した経営リーダーの専制的マネジメントが続けば、組織はヒラメ化して現場を顧みなくなり、現場の活力や思考力が損なわれて一方向にしか動かなくなる。異論は反逆として排除・抹殺され、やがて誰もが黙ってしまう。そんな共産党的専制支配が生じるのは権力が限度を超えて継続されるからであり、どんなに優れた経営リーダーも10年を超えて君臨すべきではない。

中国は文化大革命の反省から憲法で国家主席の2期(10年)を超える続投を禁じていたが、習近平は憲法を改悪して続投を可能にし、3月12日の全人代で正式に3期連続の国家主席に選出された。それが中国社会を監視と統制のディストピアと化し、世界の安定をどれだけ脅かすか、我が国とて安んじてはいられない。習近平の在位は3期連続しても15年だが、鈴木敏文氏は1992年10月に代表取締役社長に就任して2016年5月に退任するまで24年間もトップの座に在った。

コンビニ事業を成功させ、米国7-Eleven.incも買収して世界最大のコンビニ事業に育て上げた経営手腕は評価されるが、スーパーストア事業や百貨店事業では成果を出せず、アパレル事業のセンスも欠いていた。とりわけ伊勢丹出身の藤巻幸夫氏を取締役衣料事業部長に招聘して06年春に仕掛けたイトーヨーカ堂衣料部門の百貨店的変身は下駄履き感覚の顧客を離反させ、決定的な致命傷となった。鳴物入りで15年11月に立ち上げたグループ横断のオムニチャネルサイト「オムニ7」も取扱高が伸びず、19年2月期の1131億9300万円をピークに減少が続き、22年2月期は1010億9700万円に留まって23年1月に終了している。

どんなに優れた経営者でも得意不得意があり、何より「旬」というものがある。「旬」の10年余を走り抜いて後継者を育て、潔く退くのが経営者の美学であり、後進に道を譲れば晩節を汚すこともない。09年のトヨタ社長就任から14年で佐藤恒治氏にバトンを渡し会長に退いた豊田章男氏の例を範とすべきだろ

う。

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