小島健輔の最新論文

Japan Innovation Review(JBpress)
『インフレ時代に求められる経営哲学と革命条件は何か』
(2023年10月12日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 30年ぶりのインフレと賃金上昇という異次元環境に直面して我が国の企業経営は革命的転換を迫られているが、小売業界や物流業界は既存秩序内のカイゼンや改革に留まって「革命」に踏み出せず、時代に取り残されつつある。インフレ時代の経営哲学と「革命条件」とは何か、原点から考察してみた。

 

■インフレとは資本コストと労働コストの上昇だ

 インフレとは企業物価に始まって消費者物価に波及する「値上げ」であり、時差はあっても「賃上げ」に波及して上昇のスパイラルを招く。デフレは消費者物価に始まって企業物価に波及し、いずれ「賃下げ」にも波及するが、資本コストが低下するなら「賃下げ」は回避あるいは抑制される。我が国では日銀のゼロ金利政策もあって長らく後者のデフレスパイラル構図が続いて来たが、それが招いた日米金利差や経常収支キャッシュフローの悪化で円安が加速し、30年ぶりというインフレスパイラルに転じている。

インフレの契機はサプライ分断などの供給不足や資源価格の高騰、基軸通貨の金利上昇など様々だが、継続すれば資本コスト(金利)と労働コスト(賃金)のスパイラルな上昇を招き、水位の上昇に取り残された企業や個人はインフレに水没してコスト倒れに陥ってしまう。我が国では円高と並行して30年もデフレが続いたのだから、円が凋落すれば今後30年もインフレが続いても不思議はない。

米国はリーマン後の09〜10年、オバマ第二期の13〜16年、コロナ禍の19〜20年を除けば2%以上のインフレが半世紀も続いて来たから(00年〜21年のインフレ率は57.4%、〜23年4月だと77.6%)、経済活動も投資活動も個人の人生設計もインフレを前提に成り立っている。そう考えれば、我が国の企業経営も長期間にわたって(おそらく2%前後の)インフレが続くという前提に転換するべきで、30年も続いて染み付いたデフレ感覚(00年〜21年のインフレ率は2.5%、〜23年4月でも8.0%)から早々に脱却するべきだろう。

企業経営においてインフレは仕入れや売上、販管費の損益のみならず、究極は資本コストと労働コストの二次関数曲線をどう組み替えるかという構造革命が問われる。

 

■そごう・西武はなぜ捨て値で売却されたのか

  資本コストと労働コストの二次関数曲線の組み替えに失敗した悪例が捨て値で売却されたそごう・西武ではないか。

 そごう・西武は当初2500億円と企業価値を見積もられながら、紆余曲折の果てに実質譲渡価値8500万円で米投資ファンドのフォートレス・インベスティメント・グループに売却された。2006年1月末にセブン&アイ・ホールディングスが野村プリンシパルファイナンス他株主から買収した総額2377億円から実に2800分の1に激減したことになるが、そんな評価になったのはやむを得なかった。

買収時のそごう12店、西武18店、計30店、合計営業収益9665億4500万円が23年2月期にはそごう4 店、西武6店、計10店、合計営業収益5073億9500万円にシュリンクしたが、この間に20店を閉鎖、売却して従業員数を10386人(うち正社員5296人)から4549人(同2135人)に削減しても一人当たり売上は18.1%(正社員のみだと24.9%)しか改善できず、直近は4期連続の純損失に陥って借入金が3000億円に膨らんでいたからだ。ちなみに、この間に高島屋の百貨店業従業員数は12879人から6926人に減少して一人当たり売上は50.9%上昇、三越伊勢丹の従業員数は17682人から7903人に減少して一人当たり売上は2.09倍に上昇している。

そごう・西武は不採算店を大量閉店して従業員を削減しただけで資本コストと労働コストの二次関数曲線の組み替えは進まず、労働生産性の改善は僅かにとどまった。2377億円を投資し、そごうの心斎橋本店や神戸店、西武の高槻店など自前(自己所有)の店舗を売却してもリストラ費用と借入金の利払い等に消えて「資本装備率」が高まらず、労働集約体質を脱却できなかったことが最大の敗因だった。

百貨店はもとより自営の「仕入れ小売業」とコンセやテナント任せの「不動産業」のハイブリッド事業で、前者と後者では労働生産性が一桁違うから後者の比率を高めるほど労働生産性は高まるが、それには好立地の自前(所有)店舗という資本装備が前提となる。今世紀に入って百貨店の閉店が相次いだが、その大半は売上の減少を「不動産業」シフトによる労働生産性の向上で補えない賃借店舗で、客数の回復が期待できない地方や郊外の過疎店舗は別として、自前の店舗はSC化という「不動産業」シフトで延命している。高島屋や大丸松坂屋(Jフロントリテイリング)、阪急阪神百貨店(H20リテイリング)は好立地店舗を高額でも買い取って自前化し、SC化で労働生産性を高めて収益を伸ばしている。

07年2月期から23年2月期にかけて高島屋は百貨店業の一人当たり売上を50.9%も伸ばす一方、セグメント利益の百貨店依存率を商業開発業(18.4%→28.8%)と金融業(6.0%→14.0%)を伸ばして68.0%から57.2%に落としている。Jフロントリテイリングも、セグメント利益の百貨店事業依存率を13年2月期の60.4%からSC事業とデベロッパー事業の合計をほぼ同額まで伸ばして23年2月期は40.8%まで落としている。

商業開発業とかSC事業とか名前は様々な不動産事業も、ハウスカード発行を軸とする金融事業も自営の百貨店業より労働生産性が桁違いに高い「資本集約型」事業であり、百貨店生き残りの鍵は百貨店業においても関連事業においても資本装備による「脱労働集約型」にあると理解するべきだ。インフレ時代なら尚更だろう。

 

■労働集約型を抜け出せない小売業や物流業

 インフレ時代を生き抜くには脱「労働集約型」の体質転換が必須だが、多くの小売業や物流業はレジ精算のセルフ化や物流施設の自動化(ロボット活用)など部分的な改革に留まってDXが形骸化しており(そもそも戦略目的もKPIも曖昧)、事業構造総体を「資本集約型」に転換する戦略構図を欠いている。

 食品小売業ではセルフピッキングのスーパーマーケットやコンビニエンスストアがレジ精算もセルフ化し、AIによる購買行動解析や商品画像照合で無人販売に近づきつつあるが、衣料品や服飾雑貨などソフトラインでは一部の大規模チェーンでレジ精算のセルフ化が進むに留まり、無人販売は古着店などでの性善説的実験が散見されるのみだ。

ECこそ販売も精算もセルフ化されリモート接客さえAIボットで自動化が進むが、出荷倉庫運営の自動化は一部の大規模事業者に留まり、ラストワンマイルの宅配は人海戦術を出られないでいる。人海戦術の宅配を回避するにはカーブサイド・ピックアップを含むBOPISが有効だが、店舗でのピッキングや手渡しのマテハン労働が必要になる。それをピッキングロボットや受け取りロッカーで部分的に回避することは可能だが、それらにセッティングするマテハン労働は解消されないし、店頭のスペースを割くデメリットもあって決定打とはなっていない。

無人販売に近づきつつあるスーパーマーケットやコンビニエンスストアでも、定置のAIカメラやRFIDスキャナーによるフェイシング管理は可能でも、品出しや賞味期限管理の自動化は見えていないし、DC/TC/PCの自動化や運送労働の抜本的効率化という課題も解決されてはいない。24年問題が迫る運送労働など、海運並みの規格コンテナ化による荷積み荷下ろしの運転労働からの完全分離を断行しない限り、労働力逼迫の解消は困難だ。

既存の事業モデルや業界慣行を温存したまま部分最適な自動化や情報システム主導のDXを労しても労働生産性の抜本的な「革命」は困難で、消費者と販売事業者とサプライヤーと生産者の業務分担と手順を根本から再設計して「資本集約型」事業構造へ転換し、ゲームのルールを変えてしまうしかない。それには巨額を投じて商流・物流・金流のインフラを再構築(協業も当然あり)する必要があるが、借入資金に依存してはインフレ時代の高金利に圧迫されるから米国流のROE経営では財務がもたない。

※DC(Distribution Center)とTC(Transfer Center)とPC(Process Center)・・・・入荷した商品を棚入れしてからピッキングして出荷する保管型のDCに対し、棚入れせず自動仕分けして送り出す通過型の物流施設がTCで、FC(Fulfillment Center)は通販の出荷用DC。PCは食品小売業において生鮮品や惣菜の仕入れと加工、包装、出荷を一括する地域拠点。

※ROEとROA・・・ROE(Return On Equity)は自己資本利益率、ROA(Return On Assets)は総資産利益率。ROEを志向すると配当性向を高め自社株を買い入れて自己資本を抑制し、借入金などでレバレッジを掛けて自己資本効率を追求する。ROAを志向すると配当や自社株買いなどの資本流出を抑制し、自己資本を蓄積して財務の安全性と経営のフリーハンドを高める。

 

■ROE経営ではなくROA経営のガバナンスが問われる

 米国では著名企業や高収益企業でも環境変化や戦略の失策から一転して経営難に陥ることが少なくないが、その背景にあるのがROE経営だ。

 ROE経営では税引き利益の大半、時にはそれ以上を配当や自社株買いに投じて自己資本を抑制して株主価値を高め、自己資本の何倍も外部資金を借り入れてレバレッジを掛け、自己資本利益率の極大化を志向するから、インフレ局面では利払い負担が大きくなり、業績が急激に悪化して営業キャッシュフローが大きなマイナスになると財務的に持ち堪えられなくなる。

 我が国で一般的なROA経営では配当や自社株買いによる資本流出を抑えて自己資本の拡充に努めるから、資本効率はROE経営より低くなるが財務の安全性は高く、環境の激変で営業キャッシュフローが大きなマイナスになっても直ちに財務が逼迫するわけではない。破綻に至るのは、よほど長期にわたって最終損失が続いて超過債務に陥ってからだ。

グローバルSPA上位3社の直近本決算をROE経営とROA経営という視点で比較すれば違いが分かると思う。オーナーシップが希薄なROE経営のH&M(22年11月期)は配当や自社株買いによる資本流出で純資産が前期から15.4%も減少して自己資本比率が前期の33.4%から27.9%に低下し、純資産対運転資金率は前期の64.8%から91.4%と悪化した。対して柳井家のオーナーシップが揺るぎないファーストリテイリング(22年8月期)の株主資本は前期から40.0%も増加して自己資本比率は前期の44.5%から49.1%に上昇し、純資産対運転資金率は前期の34.6%から21.4%と大きく改善されている。

欧米資本でもINDITEX(ZARAを展開、23年1月期)はオーナーシップを崩しておらず、自己資本の拡充を重視するROA経営で、株主資産は前期から8.1%増加して自己資本比率は54.4%から56.7%に上昇し、豊富な資金を背景に一兆円近い回転差資金が回るゆえ運転資金負担は皆無だ。

大手アパレルでも、米国最大のVF Corporation(23年3月期)は営業利益率が13.8%という高収益でも高配当と自社株買いで自己資本比率が26.5%に留まって長短借入金が株主資本の1.54倍にもなるが、我が国のオンワードホールディングス(23年2月期)はようやく黒字転換しても営業利益率は3.0%とVFより格段に低くても、自己資本比率は47.0%と高く長短借入金も株主資本の36.0%に抑制されている。

ROE経営は株主価値優先で自己資本を抑えて借入金でレバレッジをかけるが、ROA経営では幅広いステークホルダーに安定した企業価値を担保して自己資本を拡充し借入金によるレバレッジを抑制する。創業家と経営陣が過半の株式を所有していれば上場企業でも外部の「もの言う株主」の圧力に流されず先を見据えたROA経営が可能だが、過半を割り込めば外部株主の短期的要求に流されてROE経営に流れ、配当や自社株買いに資金が流出して経営のフリーハンドが損なわれがちだ。株主と執行経営陣の短期的利害に流れ、長期的な事業投資や組織形成、ES(Employee Satisfaction)が損なわれるケースも少なからず見られる。

 顧客と従業員、経営陣と株主、取引先や業界、社会も含めた広範なステークホルダーに継続的に支持されるガバナンスを遂行するにはオーナーと執行経営陣が過半の株式を支配すべきであり、外部株主や資金の貸し手の圧力、財務的制約で不本意な経営判断に追い込まれる事なく、財務余力で想定外の事態も乗り切れるよう、ROA経営に徹するべきではないか。インフレが長期化して資本コストが肥大するとしたら、借入金に依存するROE経営は金利負担が嵩み財務リスクも高まって「資本集約型」への転換も遅れてしまう。それは労働生産性の向上も妨げるから、ESを損なって組織力を矯めてしまい、企業の成長力も損なうことになる。「資本集約型」への転換にはROA経営のカバナンスが必定なのだ。 

 

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