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商業界オンライン 小島健輔からの直言
『急ぎ過ぎたキャッシュレス化の弊害』(2020年03月09日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 なんちゃらPay(QRコード系スマホ決済)が乱立して業界の投資・累損が4000億円にも膨らんで買収再編の連鎖を招き、そのツケが出店者や消費者に回ってくると先日の『このままではECの未来がつぶされる』で警鐘を鳴らしたが、なんちゃらPay騒動のみならず、消費増税に合わせて急ぎ過ぎたキャッシュレス化が小売業の経営を圧迫している。

キャッシュレス決済は資金繰りを圧迫する

 小売店の資金繰りは日銭が入れば容易だが、キャッシュレス化が進むとこのメリットが損なわれてしまう。それも路面の独立店舗と商業施設内店舗で事情が異なる。

 路面の独立店舗では現金決済はそのまま手元資金になるが、商業施設内店舗では月の前半と後半の2回締め、前半は基本家賃や共益費など固定費用が差し引かれて当月末に、後半は家賃の売上歩合家賃など変動費用が差し引かれて翌月15日に入金されるのが一般的だ。平均すれば22.5日分、独立店舗より入金が遅れることになる。

 クレジットカードなどキャッシュレス決済の場合、独立店舗ではアクワイアラや決済代行業者との直接契約になる。月末締めの翌月末入金が一般的だから平均45日、現金決済より入金が遅れることになるが、金利や手数料を負担すれば15日程度の早期入金サービスも利用できる。商業施設内店舗の場合、運営会社(デベ)がアクワイアラと包括加盟契約しているから売上金はいったん、運営会社に振り込まれる。そこからテナントに支払うとさらに22.5日遅れてしまうから、立て替えて先払いする運営会社も半分程度あるようだ。

 キャッシュレス決済は現金決済に比べて独立店舗で平均45日、商業施設内店舗では運営会社が先払いすれば現金決済と同じで、後払いだと22.5日遅れる。独立店舗の現金決済に比べれば、商業施設内店舗のキャッシュレス決済は先払いだと22.5日、後払いだと45日遅れる(独立店舗のキャッシュレス決済に同じ)。先払いの商業施設店舗(デベが運転資金を負担)を除けば、キャッシュレス決済が急増すれば小売店の資金繰りを圧迫することになる。

キャッシュレス比率はどこまで上がったか 

 資金繰りもともかく、キャッシュレス決済が拡大すれば決済手数料の負担もかさむ。政府のキャッシュレス還元事業では小規模事業者の加盟店手数料が3.25%に抑制され3分の1が補助されるが、中堅・大手小売業者はもちろん、デベが包括加盟契約する商業施設内店舗は事実上、対象とならない。

 アパレル分野では商業施設内店舗が大半を占め、キャッシュレス還元期間もデベの包括契約決済手数料が適用されるから、キャッシュレス決済比率が高まるほど手数料負担がかさんでいく。価格帯でキャッシュレス決済比率は幅があるが、19年6月の当社調査では大衆価格帯で半分前後、駅ビルなど中価格帯で70%、高級ブランドでは90%を超えていた()。

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 キャッシュレス還元事業が始まってからどの程度、キャッシュレス決済比率が上昇したかは各種調査でかなり幅があって正確なところはつかめないが、インテージが19年7〜8月と10月の調査を比較した結果では、回数ベースで現金決済比率が54.9%から46.6%へ8.3ポイント低下し、電子マネーが16.7%から20.8%へ4.8ポイント、QRコード決済が4.2%から7.6%へ3.4ポイント上昇。クレジットカードは21.7%から21.9%と微増だったが比率は最も高い。

 電子マネーはコンビニで29.6%から33.5%へ3.9ポイント、スーパーマーケットで17.1%から22.3%へ5.2ポイント伸び、QRコード決済はドラッグストアで13.4%から19.2%へ5.8ポイント、コンビニで0.9%から3.7%へ2.8ポイント伸びているが、カードもスーパーマーケットで28.3%から29.3%、ホームセンター/ディスカウントストアで29.8%から31.4%と根強く、高単価になるほどカードのシェアが高い(全て回数ベース)。

 大手商業施設デベへのヒアリングではキャッシュレス比率は昨年10月以降も5ポイント前後しか上がっておらず、QRコード決済は急増したといっても金額シェアは2%止まりだという。コンビニやドラッグストアなど小口分野ではQRコード決済や電子マネーの比率が高まっているが、単価が高いアパレル分野ではカード決済主流(キャッシュレス決済の90%近い)は変わらない。キャッシュレス決済比率は5%程度の上昇とはいえ、アパレル分野では元から50〜90%もあったから55%〜95%になっているはずだ。そこに決済手数料がかかるとどれほどの利益圧迫になるのだろうか。

家賃と人件費に続く第三のコストへ

 前述した19年6月の当社調査では、アクワイアラや決済代行業者と直接に契約する場合の決済手数料はクレジットカードで平均2.76%、デビットカードで平均2.56%、プリペイドICカードで平均2.33%、スマホ決済が平均2.43%だったが、商業施設デベが包括加盟する場合ではクレジットカードで平均4.27%、デビッドカードで平均3.59%、プリペイドICカードで平均3.35%、スマホ決済で平均2.75%と、それぞれ1.51ポイント、1.03ポイント、1.02ポイント、0.32ポイントも高かった。

 商業施設デベの入り値は2.0%前後といわれるが、端末コストやシステムのメインテナンスコストも加わって、各ツールを加重平均した決済手数料は4.0%近くになってしまう。

 キャッシュレス還元が始まってこの手数料水準が下がったかというと、アパレル小売店舗の大半は商業施設内にあって還元補助対象となりにくく、下がったという声は聞かない。むしろスマホ決済など新手のキャッシュレス決済の乱立で商業施設デベの決済管理コストが上昇し、それが手数料率を高止まりさせているという。大手駅ビルのハウスカードなど、カード会員優待割引のコストが転嫁されてか5%にもなる。こんな高止まり状態でキャッシュレス還元期間が6月末で終わり、スマホ決済アプリの手数料軽減キャンペーンも勝負がついて終了すれば、決済手数料は上がることはあっても下がる気配はない。

 キャッシュレス決済比率が55〜95%も占めるアパレル店舗が商業施設の決済手数料を平均4.0%も負担すれば、55%なら売上げの2.2%、95%なら同3.8%にもかさんで利益が吹っ飛んでしまう。

 アパレル小売業の商業施設店舗では家賃や共益費、内装償却費など不動産費が売上げの20〜21%、ついで販売人件費が17%近くを占める。これにキャッシュレス決済手数料が乗ると40%を超えかねない。50%近い百貨店インショップ(決済手数料は百貨店が負担する)よりはましとしても、利益を確保するのは今まで以上に難しくなる。キャッシュレス化は決済手数料率の低下とセットで進まないと小売店の首を絞め上げることになる。

トータルの利便とコストで考える

 キャッシュレス化の目的は決済プロセスの効率化と顧客利便の向上が第一義であり、そのコストが小売店を圧迫し消費者に転嫁されるとしたら本末転倒の誹りを免れない。しかるに現実はキャッシュレス化が目的化し、金融コストの上乗せになろうとしている。経産省が決済手数料率の上限を3.25%までと要請しても、キャッシュレス還元期間が終われば元に戻す業者もあり、商業施設の包括加盟契約では4%以上がまかり通っている。

 個別の利便を追えば、わずかずつでもコストが積み上がっていき、やがてその流通はコスト競争力を失って脱落していく。最近のECを見ていると物流費に加えてITとフィンテックのさまざまな個別利便がコストに乗り、モールサイトの手数料率(フルフィル型)も上昇してトータルの販売コストは商業施設の販売コスト(不動産費+人件費)と変わらなくなり、便利だがコストの重い流通に変じつつある。駅ビルやショッピングセンターなど商業施設の不動産費率も00年当時は百貨店より22ポイントも低かったが、今やキャッシュレス決済手数料まで含めると10ポイントも違わない。

 かつてマルカム・マクネア氏が唱えた「小売の輪」論は経営学というより商業輪廻哲学というべき真理だが、個別の利便や技術、個別の企業や個別の流通段階だけを見て手を撃ち続ければ流通プロセス全体の中で重くていびつな存在になり、やがては流通プロセスから退場を余儀なくされる。キャッシュレス化のみならず店舗の無人運営化も、それが目的化したり特定の技術にこだわれば、別な利便性を損ねたりコストに見合わなくなり、流通プロセスから脱落することになる。

 キャッシュレス決済の手数料水準を切り下げるには通信行政を根幹から変えてNTTのインフラ維持責任を軽減する必要があるが、まずは小売業者と商業施設デベが利便とコストが見合わないキャッシュレス決済を整理してコストを落とすことが先決だ。キャッシュレス還元が終わる6月末が、その潮時ではなかろうか。

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