小島健輔の最新論文

ファッション販売2014年5月号掲載
発刊40周年記念企画
『ファッションビジネスの40年と2020年への課題』
(株)小島ファッションマーケティング代表取締役 小島健輔

 

 アベノミクスの恩恵もあって長かったデフレスパイラルをようやく脱したとは言え、グローバル化とオムニチャネル化というボーダレスな変化とコストインフレに翻弄され、同質化と値崩れに苦しむファッション業界の未来は深い霧に包まれたままだ。そんな業界の未来を開くには、過去の歴史を再認識して環境変化への対応と進化(退化?)の摂理を知り、明日の変化に対処する知恵を得るのも一策だと思う。
 我が国ファッション業界の半世紀を市場規模とファッション係数(消費支出金額中の衣料・履物比率)、衣料品購入単価を軸に、衣料品輸入単価・輸入浸透率、国内産地の動向、時々のファッショントレンドも絡めて検証してみたい。

スタイルブックと洋装店の時代(終戦〜50年代)

 終戦直後の更生服(再生古着)・復員服時代から46年には早くも「装苑」が復刊、「それいゆ」が創刊されて型紙付きスタイルブックを見て手縫う手編む洋裁ブームに火が付き、48年には洋裁学校ブームが始まった。50年代に入ると全国に洋裁学校や洋装店が広がってアウターはオーダーが主流となったが、セーターやポロシャツ、スカートやパンツなどの単品は次第に既製服に切り替わって行った。
プレタポルテとカラーキャンペーンの時代(50年代末〜67年)
 パリモードは洋装店時代から主役だったが、60年代に入ると百貨店や合繊メーカーがディオールやジバンシー、カルダンやクレージュなどと提携してプレタポルテ(高級既製服)を売り出し、百貨店や合繊メーカーが仕掛けるカラーキャンペーンが一世を風靡する一方、60年代も半ばになるとアイビールックが流行して「VAN」が台頭し、ポロシャツ軸のワンポイントカジュアルが大衆化した。
ブティックとマンションメーカーの時代(68年〜73年)
 カラーキャンペーンもスインギンロンドンなどモードの多極化とカジュアルルックの台頭によって神通力を失い、68年の3M現象(ロンゲットキャンペーンにも拘らずスカート丈が三分した)を契機にマーケットは業界の仕掛けるキャンペーンを脱して多様化し、「アンアン」や「ノンノ」などのファッション誌も次々と創刊されて団塊世代ヤングカジュアルブームに火がついた。
 マンションメーカーが雨後の筍のように生まれ、鈴屋や三愛などブティックチェーンがトレンドと売れ筋を競い、若者がファッションを謳歌するという「ファッション化時代」が到来。ファッション係数は73年に10.00という頂点に達し、途上国時代のピークを打った。

ニュートラ/アメカジとライセンスブランドの時代(74年〜81年)

 73年の石油ショック不況を契機に若者がファッションに夢中になる途上国時代は終わり、 ジーンズ/アメカジ/サーファー/ニュートラ/テニスルックといった手軽なライフスタイルカジュアルが若者に定着する一方、百貨店ではNYブランドやトラッドブランドに代表されるコンサバなライセンスブランドが主流となった。ライフスタイルカジュアルの定着で単品化が進み、単価上昇も鈍ってファッション係数も7.48まで低下した。

DCブランドとブランドショップの時代(82年〜86年)

 「戦後最大の不況」と言われて衣料消費も伸び悩む中、川久保玲、山本燿司のパリコレ参加を契機にDCブランドブームに火が付き、74年発足の「TD6」が81年10月に「東京コレクション」に発展。83年には「原宿コレクション」も始まって裾野が広がり、85年にはメンズにも波及してブームは頂点に達した。
 前時代の品揃え型ブティックから一変してワンブランドショップ(ブランドの直営店やFC店)が地方都市にまで広がり、ファッションビルが次々と開業。コムデギャルソン/ワイズ/イッセイミヤケの御三家、ビギやニコルなどの先行組にファィブフォックスやサンエーも加わり、DCブランドビジネスが急成長した。高額なDCブランド商品に夢中になって衣装貧乏に陥る若者が増え、その最たるブランド販売員は「夜霧のハウスマヌカン」と揶揄され、ファッション係数は84年の6.95を底に再上昇に転じた。

ボディコンとインポートブランドのバブル時代(87年〜91年)

 バブル景気の始まりとともに衣料消費も上昇志向が強まり、「ルイ・ヴィトン」バックブームを契機にインポートブランドブームに火が付き、東京ブランドもイケイケなボディコン主流に転じた。70年代のディスコブームが再燃し、ワンレン・ボディコン・Tバック・ラメストッキング・アンクレットに羽扇子の出で立ちで踊り狂うお立ち台風俗が世間の注目を集めた。
 衣料品購入単価はDCブランド時代を上回る勢いで上昇し、ファッション係数も90年には7.38まで回復。欧米ブランドの輸入拡大もあって87年には繊維輸入額が輸出額を上回って入超国に転じた。
チープ&シックとストリートカジュアルの時代(92年〜97年)
 バブル崩壊で資産が目減りし消費も陰って行く中、百貨店や高級ブランドが凋落する一方、渋カジやフレンチカジュアル、平成カジュアルなど手頃なストリートカジュアルが広がり、郊外では規制緩和にともなうSC開発が急進して低価格衣料チェーンが成長して行った。
 衣料品購入単価は95年までの三年間で86掛けに低下し、ファッション係数も97年には5.80まで急落。衣料品市場規模はピークの91年から97年にかけて12%近く縮小した。低価格化にともなって衣料品生産は急ピッチで中国などのアジアへ移転し、数量ベースの輸入浸透率は90年の47.9から96年には75.1に急上昇した。低価格化と生産の海外移転は商品開発のアウトソーシングをもたらし、商社などへのOEM依存が進んでアパレル企業は生産管理やパターンナーを削減して行った。

ユニクロ&しまむらのデフレ時代(98年〜02年)

 デフレ不況の果てに金融恐慌寸前まで経済が疲弊して銀行や大手流通業の破綻が相次ぐ中、「ユニクロ」や「しまむら」、マルキューカジュアルや加工ジーンズがブレイクし、衣料品の低価格化は一段と加速。衣料品購入単価は97年から01年にかけて22%も急落し、衣料品市場規模は98年から02年にかけて18%も縮小した。
 低価格化にともなって衣料品生産のアジア移転も急加速し、輸入品浸透率は98年の75.8から03年には91.2と9割を超えた。さらなる低価格化と海外生産シフト、短サイクルでの売れ筋後追いが蔓延するにともなってOEMからODMへとアウトソーシングが一般化し、アパレル企業は生産管理やパターンナーに続いてデザイナーも削減して行った。

セレブカジュアルとミニバブル時代(03年〜07年)

 円安回帰もあって長かった不況も03年には底を打って04年以降はミニバブルを呈し、ラグジュアリーブランドブームやセレブカジュアルブームで衣料品のデフレも一服して02年〜07年は衣料市場規模も落ち止まったが、アウトソーシングで開発力を失った国内アパレル業界は魅力的な新商品を打ち出せず、携帯電話などへの支出に押されてファッション係数は落ち止まらなかった。
ファストファッションと等身大のリーマンショック時代(08年〜11年)
 束の間のミニバブルもリーマンショックで遭えなく崩壊。セレブカジュアルが失速して‘等身大’ナチュ可愛カジュアルが広がる一方、08年秋〜09年春の「H&M」「フォーエバー21」上陸でファストファッションブームが爆発して低価格化が加速し、10年には衣料品購入単価がピークの91年の59%まで下落して11年には市場規模も同6掛けを割り込んだ。
 ファストファッションブームに煽られてODM依存の売れ筋後追い52週継ぎ接ぎMDに流れる国内アパレルも多く、それがまた同質化と値崩れを加速して苦境を深めた。109世界の釣瓶落としの凋落など、その典型と言えよう。

グローバル化とオムニチャネル化のアベクロミクス時代(12年〜)

 11年3月11日の東日本大震災を契機にファストファッションは冷却し、『気に入ったものを長く愛でる』というスローファッション気運が台頭。中国生産のコスト上昇もあって衣料品購入単価は20年ぶりに底を打ち、12年には市場規模も21年振りに拡大に転じた。
 13年に入ってはアベクロミクスで経済が上向くとともに、モード志向が強まってファストファッションも復活。新手ブランドの上陸も相次いでマーケットは急速にグローバル化し、アパレル専門店チェーン市場における外資シェアは05年の3.25%から13年は6.31%に拡大した。
 その一方、09年から急成長期に入ったアパレルECが11年頃からO2Oを加速し、スマホの急激な普及も加わって13年後半からオムニチャネル戦略が本格化。ショールーミングで食われると思われた店舗販売がウェブルーミングで上向く一方、EC専業アパレルの伸び悩みが露呈するなど、オムニチャネル戦略による明暗が開きつつある。

歴史から明日への指針を学ぶ

 以上、駆け足で衣料品マーケットと業界の戦後史を総括したが、流通の歴史的変遷には行政規制や法律の変化も大きく関わって来た。80年代の大店法規制強化、90年代の大店法規制緩和、00年6月の大店法廃止と大店立地法施行、07年11月の改正都市計画法施行は商業施設開発と出店戦略を大きく左右したが、00年3月の借地借家法改正による定期借家契約導入はテナントチェーンの世代交代を一気に加速する結果となった。また、00年6月の大店法廃止が営業時間の延刻による店舗要員の全国的慢性的不足をもたらして非熟練店員が急増し、店舗運営と販売の質が低下してEC急成長の遠因となった事も知っておくべきだ。これらについては別の機会に詳説したい。
 業界の退化は生産の海外移転にともなう商品開発のアウトソーシングと売れ筋後追いの52週継ぎ接ぎMD、そして店舗運営と販売の質の低下がもたらしたものであり、今日でもデザイナーやパターンナー、生産管理を抱えて自社開発し、店舗運営と販売の質を保っている企業の多くは高収益を保っているし、加えてオムニチャネル対応が進んでいる企業は売上も伸ばしている。
 歴史は必ずしも進化ばかりでなく、退化の隘路に陥った過ちもある。歴史から明日への指針を学ぶなら、『商品と流通はマーケットや行政規制に対応して変化しても、価値創造の商品開発体制と価値実現の販売の質は崩さない』というのが鉄則だと思う。バブル崩壊後に芽生えたセレクトショップの何社かはこの鉄則を守り、その後の5つの時代を生き抜いて堅実に成長して行ったではないか。

2020年への課題は

 振り返ると5〜7年毎にマーケットと業界の潮流は替わって来たから17年頃から次の時代に移るのかも知れないが、それを予測するのは不可能に近い。可能なのは現サイクルの行く末であり、その範囲で時代環境に対処する課題を挙げておきたい。
 インターネット社会では技術も情報も消費も短期間でグローバル化し、消費はクリックとモルタルの際を超えてオムニチャネル化するから、ローカルな企業でもグローバルな商品力とオムニチャネルなマーケティング対応、コスト競争力と労働価値(生産性)が問われる。よって商品開発では選択と集中、販売ではオムニチャネル戦略と実店舗のショールーム化が急務となる。
 商品開発ではマーケットと事業規模のバランスを優位に採るべく、テイストはもちろん素材やカテゴリーの選択と集中が不可欠で、フォーカスを絞る事で競争優位に立ち商品力を最大化する。販売ではオムニチャネルに顧客便宜を最大化し販売消化を最速化すべく、顧客と在庫を一元管理し物流を一元化する。
 顧客便宜の最大化とは購買労働の最少化であり、同時に販売労働の最少化も実現しなければコスト優位に立てない。在庫管理と物流が一元化されるオムニチャネル販売では実店舗も「アップルストア」のようなショールーム化に向かい、店頭在庫と店舗物流業務(品出しや商品整理など)を最少化して店舗要員を接客に集中させ、顧客の購買ストレスを最少化して買上率と客単価を最大化し、店舗要員の待遇と意欲を劇的に向上させる。それが店舗運営と販売の質を高め、さらなる顧客支持と販売効率をもたらす好循環を生む。
 00年6月に始まる販売の退化を断ち切る企業と引き摺る企業で明暗が大きく開いて行くこれから、オムニチャネル戦略と実店舗のショールーム化が突破口となる事は間違いない。

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