小島健輔の最新論文

WWD 小島健輔リポート
『インフレを勝機にする
「計算ずくのアパレル値上げ」』
(2023年03月07日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

ƒvƒŠƒ“ƒg

 ウクライナ紛争や中国のゼロコロナ政策によるサプライチェーンの混乱や原材料費・物流費の高騰に昨年の後半からは円安も加わって調達コストが高騰し、コスト抑制努力の一方で販売価格にどう転嫁するかプライシングの政策とスキルが問われたが、アパレルチェーン各社の業績推移から「正解」らしきものが見えて来た。

 

■輸入コストの価格転嫁はまだ途上

 22年は越境D2Cを除く国内供給数量36億0106万点の98.2%を輸入衣料が占めたが、そのコスト高騰が衣料の流通と販売を直撃している。「繊維品」輸入物価の上昇率が二桁に跳ね上がったのは22年の4月からで、1ドル150円を超えて円安のピークとなった10月は前年から16.5%も高騰したが、23年1月は円安の是正もあって同10.0%上昇とようやく落ち着いて来た。とは言え企業物価や消費者物価への転嫁はまだまだ途上で、値上げはこれから本格化する。

「繊維製品」企業物価の上昇率も7月から5%を超え10月には6.5%に達し、23年1月も5.4%と遅ればせながら取引価格への転嫁が続いているが、「繊維品」輸入物価が22年通年で12.6%も上昇したのに「繊維製品」企業物価は22年通年で4.0%しか上昇していない。取引価格への転嫁はまだ三分の一弱に留まっているから、23年はコスト転嫁の加速が必定だ。

衣料品の消費者物価上昇率は22年の9月に3ヶ月続いたマイナスから4.0%に跳ね上がり(洋服は3.9%)、12月も2.0%(洋服も同)、22年通年でも1.9%上昇し(洋服も同)、23年1月も2.3%(洋服も同)と小売価格への転嫁が続いているが、まだ輸入物価高騰分の1〜2割しか転嫁できていない。20%以上と言われる調達コスト増が反映される春物の結果はまだ分からないが、昨年秋冬物の結果は大手アパレルチェーンの客単価・客数・既存店売上の前年比から推察できる。極論かもしれないが、上手なプライシングで上げた者勝ちという様相が見て取れる。

 

■10年以上前から衣料品はインフレに転じていた

衣料品は長らくデフレ商品の典型のように言われてきたが、それはリーマンショックの混乱期までで、それを抜けた11年頃からは緩やかなインフレ局面に転じていた。

 90年から11年では輸入品の急増で供給数量が倍増して購入単価が6,553円から2,132円と三分の一以下に下がり、市場規模も六掛けに萎縮したデフレ局面だったが、11年から22年では供給数量が40億9096万点から36億0106万点と88%に萎縮した一方で購入単価は2,132円から2,433円と14.1%上昇しており、緩やかながらインフレ局面に転じていた。萎縮の一途のように言われてきた衣料品市場だが、インフレに押し上げられた22年の推定小売市場規模は8兆7000億円と11年の8兆6966億円(繊研新聞調査)とほとんど変わらない。そんなインフレ局面では、上手いプライシングで値上げした者勝ちという構図に転じてしまう。

21年には678.7円(平均為替レートは1ドル109.85円)だった輸入単価が22年には832.2円(同1ドル132.12円)と22.6%も跳ね上がったのだから取引価格への転嫁はまだまだ途上で、円安は落ち着いて来たとは言え衣料品の値上げはこれからが本番だ。1ドル79.31円だった2011年の輸入単価が564.8円だった事を思えば47.3%と5割近いコスト上昇であり、当座の対応を超えて長期のインフレ局面を見据えたプライシング戦略を断行しないと利益の確保はおろかマーケットの立ち位置も危うくなる。

多くのアパレル事業者がデフレ感覚を抜けないで輸入インフレに振り回される中、先を見据えた大手アパレルチェーンは巧緻なプライシングを駆使して着々とインフレ戦略を推し進めている。

 

■大手チェーンの販売結果に見る値上げの巧拙

 最大手の国内ユニクロ(既存店、以下同)は23年8月期上期(9月〜2月)計で客単価が11.8%も上昇したが客数は1.6%の減少にとどまり、売上は10.0%増えた。22年8月期は客単価が2.1%上昇して客数が5.4%も減少し売上は3.3%減少したから、今上期はメリハリを付けた値上げが奏功して単価上昇が売上を押し上げたと推察される。春物の反応は3月の結果を見ないと予断はできないが、2月は客単価が16.8%も上昇しても客数は3.9%増えて売上は21.3%も伸びているから(前年2月が86.0だったことは割り引く必要があるが)、緻密に仕組んだ値上げが売上を押し上げている。

 しまむらの23年2月期下期(9月〜2月)も客単価が5.1%上昇して客数は0.2%増加し売上は5.5%伸びているが、客単価2.1%増・客数2.3%増・売上5.0%増だった上期(3〜8月)からほとんど構図は変わっておらず、値上げを最小限に抑えて客数を維持する策が奏功したように見える。生活圏立地の最寄り購買ゆえユニクロとはプライシング政策が異なるが、春物が立ち上がった2月は客単価が7.0%上昇しても客数は4.4%増えて売上は12.2%も伸びており(前年2月は105.1)、穏やかな価格転嫁が受け入れられているようだ。

  ハニーズは5月決算なので期間がズレるが、23年5月期上期(6〜11月)は客単価が9.6%上昇して客数も2.7%増え売上は12.5%伸びたのに対し、3Q(12〜2月)は客単価が12.6%とさらに上昇して客数も3.9%増え売上は17.0%増と加速している。22年5月期下半期(12〜5月)が客単価8.1%増・客数5.5%増・売上14.1%増だったから、マーチャンダイジングと在庫消化の精度向上による値引き抑制・単価向上政策が調達コスト上昇局面でも継続して奏功している。

ハニーズはミャンマーの自社工場生産比率が22年5月期で44%に達して(23年の新工場稼働で5割を超える)9割が東南アジア調達で中国生産がほとんど無く、ゼロコロナ政策によるサプライ混乱の影響が軽微だったことも幸いしたと思われる。春物が立ち上がった2月は客単価が13.1%上昇しても客数は18.1%も増えて売上は33.6%も伸びており(前年2月は97.3)、価格転嫁が受け入れられて売上を押し上げる構図が際立っている。

 アダストリアは23年2月期上期(3〜8月)の客単価7.6%増・客数6.9%増・売上15.0%増から下期(9月〜2月)は客単価5.1%増・客数4.9%増・売上10.2%増と、輸入インフレ以前からプライシング政策(戦略的単価アップ)が先行しており、下期は他社ほど値上げが目立たず客数増を継続した。春物が立ち上がった2月は客単価が7.9%上昇しても客数は15.7%も増加して売上は24.8%も伸びており(前年2月は95.9)、値上げが売上を押し上げている。

 こうして見ると、今回の輸入インフレ以前から収益構造の嵩上げを意図してサプライチェーン改革やプライシング政策(価値志向)を推し進めていた有力チェーンが値上げ局面でも優位に立ち(値上げを抑制したしまむらは例外だが)、それらを欠いたまま泥縄で悪目立ちする値上げをしてしまったり、値上げを無理に抑制して品質を落としたチェーンが苦戦したと総括される。

 

■インフレ政策の勧め

 ラグジュアリーブランドではコスト転嫁や品質向上の値上げはもちろん、ブランド価値をインフレさせる意図的な値上げも繰り返されるが、長期的なインフレ局面では中低価格のアパレルも意図的なインフレ政策を採ることがある。00年前後の8年間に渡る米国ミセスチェーンChico’sのインフレ政策が典型的なもので、毎年8%づつ値上げして既存店売上の二桁増を続け、98年1月期から06年1月期の8期間で売上を18.7倍、営業利益を60.8倍に伸ばし、03年から06年の営業利益率は20%を超えて全米アパレルチェーンの首位を飾り、ピークの06年には21.2%を記録している。

 そんなマジックが成り立ったのはベビーブーマー世代が引退前最後の消費を花咲せ、3%前後のインフレが続いた08年までで、リーマンショックで同社のインフレ政策は頓挫した。最盛期の同社店舗を何度も見たが、お洒落ミセスのためのデザイナーブランドミックス風SPAという印象で、ブティックスタイルのパーソナルな接客が目立っていた。それに近いミセスマーケットは日本にもあったが、長らくデフレ局面が続いた我が国ではインフレ政策による高収益化は望むべくもなく、団塊世代が衣料消費の第一線から退いた今となっては後の祭りだ。

 長く続いたデフレ局面からようやくインフレ局面に転じたのだから、所得が上昇して社会的交流も広がる世代狙いならインフレ政策が功奏する。年功序列を脱して若手優遇が進む20代、高所得の30〜40代パワーカップルなどインフレ政策に乗ってくるのではないか。インフレ政策は機を得てサプライとプライシングのスキルが伴えば、中低価格のアパレルでも効果を発揮する。コロナ以降のアダストリアなど、その好例だと思う。

 

■アダストリアのインフレ政策に注目

 アダストリアのインフレ政策はブランド・ポートフォリオとプライシングの両面から推し進められている。同社はブランド別の客単価/客数/既存店売上の前年比を開示していないので詳細は掴めないが、全社計の客単価/客数/既存店売上の前年比推移、各ブランドのマーチャンダイジングやプライシングからインフレ政策の進捗が伺える。

 ユニクロなど多くのライバルが犇くSC価格ブランドへの依存を下げ、駅ビル価格ブランドを再強化するとともに、ベタープライスのD2Cブランドの開発・育成を急いでいる。SCブランドも、グローバルワークなどビジカジアイテムやオケージョンアイテムを拡充して単価を嵩上げ、もはやカジュアルブランドからスタイリッシュなビジカジブランドに変貌した感さえある(グリーンレーベル・リラクシングをベンチマークしているのは疑う余地もない)。 

他のSCブランドもライフスタイル訴求でアパーポジションに移行したり、微妙なプライシングで平均単価をジリジリと押し上げており、調達コストの上昇を吸収するとともに、人時効率を高めて給与水準と収益性の向上を図っているのは間違いない。人時効率は店舗売上規模の拡大や運営プロセスの改善で高められるが、販売単価が低いと限界があり、販売単価をインフレさせれば飛躍的な向上が望めるからだ。

 以前からアダストリアのプライシングは3,990円とか4,990円とかライバル店と直接比較出来る価格ではなく、4,500円とか5,500円とか半ライン上にずらした価格設定が多かったが、昨年来のインフレ局面では一段と広がった印象がある。ユニクロなどロットの大きいライバルに正面から対抗して同価格を設定すれば無印良品のように品質(特に素材)を落とさざるを得ず、端から負け戦になりかねないが、半ライン上に価格を設定すれば素材を落とさず品質を確保し、陳列表現やSNS訴求でワンランク上に見せることも出来る。それで消化が進めば大成功で、売れ残っても値引きの余地が大きく、粗利益率も確保し易いのではなかろうか。

 コロンブスの卵のような話で煙に巻かれた感があるかも知れないが、プライシングは元より心理学的要素が大きく、上に比較する価格を設定して主力価格に誘導したり、目玉価格商品で集客して利益価格商品を売るなど、広く活用されている。「半ライン上の価格設定」がどれほどの効果を発揮しているかは推察の域を出ないが、アダストリアが開発型調達に転換して以来、12年かけて試行錯誤し磨いて来た商品開発力とサプライチェーンがあってこそ成立するマジックだと認識するべきだろう。

 インフレ政策という経営意志もプライシングのスキルも無く、輸入インフレを吸収する商品開発力もサプライチェーン革新も欠いては、インフレに押し流されて顧客も売上も失いかねない。これからも続くインフレ局面を見据え、収益構造を抜本改革するしか生き残れないと腹を括るべきだ。

論文バックナンバーリスト