小島健輔の最新論文

販売革新2017年11月号掲載
「商業界70周年特集」
『EC拡大の必然、店舗販売は生き残れるか』
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング 代表取締役

 米国ではアマゾン旋風が吹き荒れ遠からずECが店舗小売業に取って代わるのではないかと危惧される情況だが、それは我が国とて大差ない。小売業の歴史を遡れば店舗が主役でなかった時代も長かったし、通信販売が今日に近い盛り上がりを見せた時期さえあったではないか。小売業は時代の交通・通信・物流手段やライフスタイルのみならず、都市と農村の社会構造、雇用と社会保障の国家政策など、様々な要素が絡んで変転して行くもので、四半世紀・半世紀というスパンで見れば何もかも一変してしまう。ならば、これからの変転も同様だと腹を決めるべきだろう。

■ECが主役になる日が来る?
 ECが急拡大していると言っても我が国の物販小売ではまだ5.4%程度で、米国は8.1%、中国は12.6%、最もEC化が進んでいる英国でも15.7%と推計されるに過ぎない(総て16年度)。ECが小売の主流となって店舗小売業を駆逐すると言うにはまだ遠い感があるが、分野に拠っては既に現実となりつつある。
 我が国でも事務用品・文具では33.6%、家電・PCでは29.9%、書籍・映像ソフトでは24.5%に達して店舗小売業の方が補完する関係になり、店舗はショールーム兼お試し・受取のオムニチャネル利便拠点、あるいは設置・設定のサービス拠点、あるいは極めて趣味的なセレクトショップに性格を変えつつある。
 運営効率でも在庫効率でも店舗小売業に優るECはマス・メリットが加速度的で、ゴールドマン・サックスが『売上百万ドルを稼ぐに要する雇用は小売業の3.5人に対してECは0.9人』と指摘するほど経営効率の格差は大きく、資本の論理からはECへの交代が加速度的に進まざるを得ない。バーチャルとリアルの溝を埋めるテクノロジーやAI進化も加速度的だから、店舗や人が補わなければならない領域はじりじりと限られて行くだろう。
 ECが主役になるまでもなく、ECシェアが一定まで達すればECに食われて店舗販売の効率が低下して採算を維持出来なくなり、閉店ラッシュが広がる事になる。EC比率が20%に迫る米国のアパレル・服飾分野では、EC比率が20%を超えたデパートやブランドの店舗売上がECとのカニバリで減少して閉店が広がり、ECと店舗を合わせた売上も維持出来なくなるケースさえ見られる。それは同分野のEC比率が11%を超えた我が国とて同様で、過去三年間のEC売上拡大による店舗やカタログ通販の売上減少は1兆9490億円と年率4.7%にも達する。アパレル不況と言われて既存店が95〜96に留まるのも当然で、EC拡大によるカニバリを甘く見てはならない。
 試着が必要な衣料品でもECの拡大が止まらないのだから、持ち帰りが困難だったり設置・設定や組み立てを要する家電や家具ではECが主役となって店舗がショールーム化するのは必然だ。それを逆手に取ってオムニチャネル利便を取り込んだ小売業者は成長し、ショールームの域を出られなかった小売業者は行き詰まって行くだけで、小売店舗が消えて行く訳ではない。前者の好例がヨドバシカメラやニトリであり、後者の好例が大塚家具やイケアではないか。
 生鮮食品の分野だけは鮮度管理や加工の難しさ、賞味期限の短さなどに妨げられてECが主役となる事は無く店舗販売が主役の座を維持すると考えられがちだが、実は生鮮食品こそ歴史を遡れば無店舗販売が主役だった時代が長かった。

■そもそも店舗は小売の主役だったか
 幕藩体制下で城下町という消費都市が形成され小売業が確立した江戸時代。日本橋など城下の広域型買い回り商店街(同時に問屋街でもあった)を例外として、米や酒、燃料などは町内の舂米屋や居酒屋、薪炭屋に依存していたが、鮮魚や野菜、生活用品などは‘棒手振り’と呼ばれた日用行商人から日々必要な分だけ購入して消費していた(冷蔵庫が無かった)。日常消費の主役は店舗小売業ではなかったのだ。
 そんな購買慣習は明治期も大きくは変わらず、明治末期の段階でも行商人が商人の過半を占めていた。大正期には第一次大戦後の度重なる恐慌下で荒廃した農村から都市に流入した庶民による‘生業’としての小売店が近隣でご用聞きを拡げ、サラリーマン階級の形成と関東大震災後の住宅地の郊外化の中で商店街が形成され、ようやく店舗小売業が過半を占めるようになったが、行商とご用聞きが日常消費から消える事はなかった。
 戦時下の配給統制と終戦後の闇市、公設市場の時代を経て50年代以降、雨後の筍のように全国に商店街が急増していったが(各種調査から見て商店街の98%は1920年代以降、90%は戦後に成立している)、60年代まではご用聞き(同時に掛け売りでもある)や行商がまだ20〜30%を占めていた。
 商店街の成立と前後して巨大化した百貨店とその出張販売や通信販売が商店街を圧迫するようになり、1937年8月には第一次百貨店法(新増設も出張販売も許可制)が公布されるに至った。実際、戦前のピーク(1939年)では百貨店は僅か203店舗で小売総額の9.3%を占め、東京市では小売総額の32.3%、織物・被服の69.8%、小間物・洋品の59.5%、履物・雨具の52.4%も占めるガリバー業態だった。
 通信販売も大正期に急拡大し、1922年のピーク時には代引き小包郵便数(イコール通信販売と見て良い)が500万個に達して小包総数の15%を占め、三越でもピークは売上の25%を占めていたと推計される。1923年の関東大震災で三越以下通販事業者の多くが顧客名簿を焼失(現代でもアスクルDC火災などリスクは大差ない)したのに加え震災恐慌、金融恐慌、世界恐慌と重なって戦前の通信販売は急激に萎縮して行ったが、今日のECブームに匹敵する盛り上がりがあった事は間違いない。それは米国とて同様で、1890年代以降、モンゴメリー・ウォードやシアーズ・ローバックに代表されるカタログ通信販売が拡大し、乗用車の普及によってチェーンストアが急成長する1920年代後半に至るまで小売の主役だった事も忘れてはなるまい。
 チェーンストアが‘流通革命’の主役となって以降も、米欧では70年代から80年代にかけて「カタログショールーム」がブームとなって米国ではシアーズ・ローバックやサービス・マーチャンダイズ、英国ではArgosが多店化したが、ディスカウントストアやモールに押され短期のブームに終わっている。日本でもバブル崩壊後の90年代、海外での‘爆買い’から転じた越境(海外)カタログ通販ブームを契機にカタログ通販が急成長し、ECに替わられるまでTVショッピングと並ぶ通販の主役を維持した。
 店舗小売業の時代になっても、百貨店と商店街が張り合っていたのは60年代前半までで(第二次百貨店法の施行は56年)、60年代後半以降は流通革命の狼煙とともに量販店が急成長して商店街を圧迫し(大店法施行は74年、500平米規制への強化は79年)、80年代後半に規制緩和に転じる頃にはロードサイド銀座とコンビニエンスストアが席巻して近隣商店街の衰退が進んでいた。90年代に急増した箱形CSCに続いて00年の大店法廃止以降、三桁の専門店が揃って営業時間も長いモール型RSCが主流となる中、広域型商店街まで衰退して商店街の時代は終わった。
 モール型RSCの繁栄も永遠ではなく、アクセスにも館内の買い回りにも少なからぬ時間消費が伴う買物が負担になり、日常の近隣消費はコンビニかミニスーパーという使い分けが進む中、今世紀に入ってのブロードバンド普及と08年以降のスマホの急速な普及によって時間と場所を強いられない‘第三の選択’たるECが急成長し、店舗小売業の存続を脅かすに至っている。
 小売業の近代史を振り返れば店舗小売業が主役であったのは直近の一世紀にも満たず、ほんの半世紀前までは行商やご用聞きもまだ一定の役割を果たしていたし、店舗小売業の黎明期には今日のECブームに匹敵するような通信販売ブームがあった。店舗小売業の時代を開いた商店街もロードサイド銀座やSCに取って代わられ、そのSCさえECに追い詰められつつある。そんな歴史観からすれば、店舗に出向いて持ち帰る労働を強いられ少なからぬ時間を消費させられる店舗小売業が主流で在り続けると考える方が無理があろう。

※この項、「大江戸商い白書」(山室恭子著)、「商店街はいま必要なのか」(満薗勇著)、「商店街はなぜ滅びるのか」(新雅史著)、「チェーンストア米国百年史」(倉本初夫訳)など参考にさせて頂いた。

■進む淘汰と交代 小売店舗は無くなるのか?
 小売業の世代交代はマルカム・マクネア教授の唱えた「小売の環」で語られる事が多いが、小売業は必ずしもコストと効率だけで淘汰・交代するものではない。消費者の側から見れば、利便と労働負担の軽重も問わざるを得ないからだ。零細で非効率な棒手振りやご用聞きも自宅に居ながら労働も時間も負担せず必要な商品を入手出来る利便は大きいし、何時でも何処でも無限の品揃えから価格も性能も購入者の評価も比較検証して入手出来るECは輪をかけて利便が大きい。
 ECがメジャー化した今日、かつて‘流通革命’と言われたチェーンストアとセルフサービスは働く者にも顧客にも物流労働を強いる‘蟹工船’という批判を否めず、少子高齢化と核家族化や単身化、共稼ぎで時間が割けない今日の消費者にとって‘時間消費’を強いる店舗販売はもはや負担でさえある。そんな現実を直視して利便が高く労働負担・時間負担の軽い提供方法を確立するなら、これまでECがマイナーだったカテゴリーでも急速にシェアを高められる可能性がある。
 ECが広がると言っても、それが店舗販売を駆逐するとは限らない。むしろECと店舗が互いの機能を補完して利便を高めるという‘真のオムニチャネル化’が問われているのではなかろうか。カニバリ覚悟でECを急拡大して大量閉店を招いているアパレル・服飾分野など‘オムニチャネル’を根本から錯覚して自滅の罠に嵌っていると反省すべきだ。
 ‘真のオムニチャネル化’とは顧客の側を向いたECと店舗販売の融合であり、店舗をお試し・受け渡しのオムニチャネル利便拠点として活用するのみならず、店舗を物理的制約から解き放して品揃えを拡張し、顧客の購買労働を最少化して利便を最大化すべくECのプラットフォームを活用するものではないか。ならばECが主役となっても店舗が消える事はないはずだ。
 オムニチャネルな融合業態の姿は店舗寄りからEC寄りまで以下の三段階の「デジタルストア」が考えられる。
 第一はECで店舗の品揃えを拡張し、スタイリング提案や購入者レビュー、在庫検索で購買選択を支援し、宅配やテザリングによる店舗受取で利便を高めるものだ。GUの「ファッションデジタルストア」や青山商事の「デジタル・ラボ」がこれに近く、店舗小売業から容易に進化し易いビジネスモデルだ。
 第二はサンプル陳列に徹してお試し・受取のショールームストアとするもので、ECによる品揃え拡張と商品紹介や購入者レビュー、在庫検索による購買選択支援、宅配も店受け取りも選べるのは同様だが、物流はEC軸で店舗物流によるテザリングは行わない。ウォルマートが買収した「BONOBOS」などEC事業者のショールームストアがこのタイプで、店舗小売業からの進化は限られよう。
 第三はECのデジタルカタログだけで一切のサンプルを置かないデジタル・ショールームストアで、商品選択から購入者レビュー、在庫検索、発注まで総てECで完結し、宅配または指定店舗で受け取るというもの。英国の「Argos」など70年代のカタログショールームから進化したものだが、EC事業者が手掛けてもおかしくない。
 ECが主役になって店舗が補完する時代になるにしても、解決しなければならない課題が残る。それは1)管理会計システムとPOSシステムの分離、2)テナント小売業に対する商業施設デベの規制と課金制度だ。
 店舗小売業、中でもチェーンストアは前世紀に確立された管理会計軸のPOSシステムを引き摺っており、24時間オンラインで受注を引き当てるECに対応するには膨大なシステム投資が必要になる。重装備な基幹システムを引き摺って膨大な追加投資を続けるよりEC軸に割り切ったクラウドシステムに移行する方が余程、軽投資でフレキシブルだが、決断出来る経営者は限られる。
 ほとんどの商業施設デベは専用レジによる売上捕捉と歩合課金をシステム化しており、ECに売上が流れる事を恐れてタブレットの持ち込みを禁止したり、デベのECモールに限ってアクセス出来るよう機能を制限して店頭レジでの決済を義務化しているが、これでは自在な運用が難しい。固定家賃制にするか総てを店頭レジに計上するか、コンセンサスの確立が急がれる。

■求められる変貌 歴史は繰り返す
 流通業界では『顧客が労働を分担する分、割安に売れる』という‘セルフサービス神話’が未だ健在で、顧客に労働分担を強いる事が当然とされ、「時間消費」を謳って顧客の貴重な時間を割かせる事業者さえあるが、オムニチャネルな利便が競われる今日、もはや‘神話’でしかない。店舗はECに較べての「品揃えの狭さ」「情報の限定」「労働の負担」「時間の負担」が疎まれて顧客の離反が加速しており、その解消こそが真の‘オムニチャネル化’(ECと店舗が一元一体の利便を顧客に提供する体制)だと会得して全力で変貌しない限り、遠からず小売の歴史に埋もれてしまう。ちょうど一世紀前、急台頭するチェーンストアの利便に圧されてカタログ通販が釣瓶落としに衰退していったように・・・・・

 

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