小島健輔の最新論文

ファッション販売2002年4月号
『ユニクロの大失速に何を学ぶか』
(株)小島ファッションマーケティング代表取締役 小島健輔

ユニクロ ついに失速

 99年以降、破竹の進撃を続けてきた「ユニクロ」がついに失速した。2000年9月を頂点に既存店売上前年比は月を追って勢いを落とし、2001年8月にはわずか2%弱ながら98年9月以来、35ヶ月ぶりに水面を割って人気の陰りを実感させた。9月こそ市場全体の追い風に助けられて5.7%増と前年をクリアしたものの、10月はその反動もあって24.6%減と大きく前年を割り込み、続く11月も15.8%減と落ち込み、前年が20.1%増とハードルが低く微減で済むと見ていた12月も17%減と大きく割り込むに至って、ファーストリテイリング社もついに業績予想を下方修正せざるを得なくなった。
 2002年8月期売上を期初予想の4800億円から3900億円と900億円も下げ、営業利益を三分の二に下方修正するという大幅なもので、しかも発表直前まで新規事業の公表としていたのだから、下方修正の発表を聞いて9日以降の株式市場はパニック売りとなってしまった。結局、株価は8日終わり値の12550円から一時は4掛けまで急落したのである。
 通常は翌月三日か四日に行う売上公表を8日まで遅らせ、しかも8日の株式市場が終ってから発表したのだから、極めて意図的と言わざるを得ない。ファーストリテイリング社内部でも相当なパニックとなっていたのだろうが、極めて自己都合のアンフェアなやり方で、株主を二重に裏切るものであった。
 失速は避け難いものとして一部の識者は予見していたが、問題はソフト・ランディングが可能か否かであった。業績の上昇が急ピッチだっただけにハード・ランディングが懸念されていたが、ついに最悪のシナリオに入ってしまったと見るべきであろう。

必然の失速要因

 失速の要因として、表面的には次の三点が指摘されよう。第一は、人気爆発の起点となった価格競争力が相対的な次元に低下してしまった事だ。ライバルのカジュアルチェーンや量販店が中国生産の低価格良質商品を大量に手掛け、この種の商品が過剰供給となって値崩れする中で「ユニクロ」の価格競争力は失われてしまった。「ユニクロ」急成長の起爆点となったフリースなど、昨冬商戦では1000円どころか500円の攻防になってしまい、「ユニクロ」の1900円フリースは価格を維持出来なくなった。
 元々、「ユニクロ」は価格を下げて価格破壊を仕掛けたわけではなかったし(価格は元から変わっていない)、中国製品が良質安価になったのは中国側の努力と為替要因によるもので、誰もが安く出来たサプライ変化局面だった。たまたまファーストリテイリング社が逸早くその変化に乗って素材集約の大型MDを軸に「GAP」流のプロモーションと都心部での多店舗展開を仕掛け、低価格良品の最大公約数的MDがデフレ局面でブームとなったに過ぎない。如何に中国のサプライチェーンを系列化し、匠チームを送り込んで品質を向上させたところで、価格競争力の相対化は避けられないものだった。攻撃局面では突出した武器であったサプライチェーン戦略も、守勢に立ってみれば逆にコストの高止まりを招く足枷となってきた。
 第二の要因はトレンドの逆転であった。「ユニクロ」は生活パーツとしての低価格高品質衣料を標榜し、コストを極小化すべく素材も生産ラインも極端に絞り込んだMDで一時はマーケットに広く受け入れられたが、このような極端にミニマライズされた最大公約数的大量生産工業製品が疎まれるトレンドに転ずれば、一転して売上が急落するリスクがあった。そして、その時はついにやって来たのだ。
 効率至上の工業化社会であった二十世紀が終わった昨春頃から時流は一変し、マーケットはヴィンテージやリメイク、ユーズドといった人の手の温もりを感じさせる手工業感覚の商品を求めるようになった。振り返って見れば、あの3月後半からのローライズデニムパンツの大ブレイクが「ユニクロ」凋落のターニングポイントであった。
 教科書的な綺麗め仕上げよりも後加工の効いた汚なめ仕上げが粋に受け取られるようになり、最大公約数的な味無し商品より複雑なリミックスが重ねられたアイテム・イン商品が求められるようになった。若者はセレクトショップに集まり、「ユニクロ」の都心店から若者の姿が消えていった。
 昨春はまだ都心店や首都圏郊外店に留まっていた若者の「ユニクロ」離れが秋口にはローカル店にまで波及し、ファミリー客や壮老年客を取り込んでも売上を維持できない情況に追い込まれていったのだ。若者のウェッブサイトに「ユニクロ」を「ウニクロ」(うざったいの意味か)と表記する書き込みが拡がり、ファッションとしての「ユニクロ」は死滅した。
 第三の要因は商品構成の平板さと陳腐化だ。サプライチェーン戦略優先で素材や商品ラインを極端に絞り込んでいるから、マーケットがセレクトショップのような“面”のバラエティとコントラストを求める方向に動けば人気の離反は避けられなかった。昨年と大差ない商品を当然のように積み上げた品揃えも変化と鮮度を欠き、顧客を失望させた。小売の常識では考えられない顧客を愚ろうした品揃えと言うしかないが、慢心の頂点にあった経営陣は『前年に売れた商品は翌年も売れる。業界の常識は間違っている。』と言い切り、昨シーズンと類似した商品を大量に仕込んでしまった。その結果はフリースを筆頭に膨大なマークダウン・ロスと残品の山、そして屈辱的な業績下方修正となったのだ。

「ユニクロ」の凋落は深く長い

 問題はこの失速が一時的なものか、かつてのタカキューやキャビン、鈴丹のように長期的な凋落に陥ってしまうかだが、私は後者の可能性が限り無く高いと考える。なぜなら、彼等より遥かに極端なビジネスモデルが彼等より極端な急成長をもたらしたのだから、その破綻による業績悪化も深く長いものとならざるを得ないからだ。
 前述した失速要因のトレンド逆転にしても商品構成の平板さと陳腐化にしても、対応するには調達背景の全面転換が避けられない。「ユニクロ」のサプライチェーンはブレーキもハンドルも効かないほど極端に絞り込まれ固定されたものだから、経営陣が不退転の決意で敵前大回頭を決断したとしても、体制が整って店頭商品が切り替わるには最低3シーズンはかかる。成功体験が大きいだけに、経営陣がその呪縛から抜け出して調達背景の全面転換を決断するのに2シーズンは時間を空費するだろうから、これから5シーズンは落ち込みが続くと見るしかない。
 ファーストリテイリング社に最も体質が近いと考えられるギャップ社の業績史を振り返って見ても、好況期は最長7半期しか続いておらず、長い好況期の後は長い低迷期、短い好況期の後は短い低迷期が来るというパターンが見られる。今回の「ユニクロ」の急成長は98年秋冬期から始まって2001年春夏期まで6半期続いたから、その後の低迷期は2004年春夏期までの6半期は続くと見る事も出来る。
 ファーストリテイリング社の場合、あまりに効率的な売手都合のビジネスモデルで勝ち癖がついてしまっているから、品揃えのバラエティや“面”揃え、個店対応や顧客対応といった手間暇かかるマーケット・イン業務に体質を転換するのは困難を極めるに違いない。額に汗して売上を積み上げる癖を失っているから売上の下支えは困難で、釣瓶落としに売上が急落していく可能性が極めて高い。まさに天国から地獄へというシナリオを演ずることになるだろう。この期に及んで生鮮食品事業といったベンチャードリームを打ち上げる感覚は成功体験を一歩も出ていないもので、まっとうならキッズ商品の拡充やスポーツシューズ事業を優先するはずだ。
 転落を加速する要因はもうひとつある。それはファーストリテイリングという企業の姿勢が嫌われた事だ。空前絶後という成功の頂点にあって奢りが現れ、強硬姿勢で取引先やデベロッパーに遺恨を残した事に加え、ダイエーの“PAS”の一件では窮者を必要以上に追い込むという勇み足を演じてしまった。それらは業界の中で済んだ事だが、国民がデフレと失業に苦しむ中、選択と集中のアングロサクソン的ビジネスモデル経営で大成功した事も、昨9月11日以降は反感を呼ぶことになった。リストラに直面する中壮年ビジネスマンにとっても裏原宿をテロリスト・スタイルで闊歩する若者にとっても、もはやファーストリテイリング社は共感できる企業ではなくなったのだ。
 では具体的に今後の業績がどうなっていくかだが、かってのタカキューやキャビンのケースと比較して推計した結果は恐るべき凋落を示している。売上は2001年8月期の4186億円を頂点に急落していき、二度とそれを超える事はない。毎年、二百坪級の新店を六十店づつ増やしたとしても、下方修正された2002年8月期の3900億円から翌2003年8月期は約3400億円、2004年8月期には約3200億円と販売効率の低下で売上は急落していく。最悪の場合、年商が3000億円を割り込む局面さえ考えられる。  巨額のキャッシュフローに物を言わせて大量出店する手はあるが、人気急落下では出店条件の悪化が避けられないから、もし断行すれば収益の低下を加速してしまう。狂気でもない限り、この選択はないだろう。英国出店で注目される海外事業にしても、うまく言っても3年で三百億円といった売上では焼け石の水にしかならない。
 SCM至上でプロダクト・アウトの高速直線走行に特化した工業的SPA体質が裏目に出て売上低下が収益低下に直結し、営業利益率も下方修正された2002年8月期の20.3%から翌2003年8月期は10%台前半に低下、2004年8月期では10%を割り込む可能性さえ指摘される。万が一、有り得ない選択とした無謀な大量出店で売上減少を埋める戦略に出れば、収益低下はさらに加速度的なものとなってしまう。さすがに赤字転落までは読めないが、最低三期は凋落していくと見るのが妥当であろう。

起死回生の大謀略はあるか

 とは言え、ファーストリテイリング社が立ち直れないまでに凋落する事はないだろう。何故なら、70年代末期に「ユニクロ」的急成長を果たしたベネトン社はその後、二十余年を経て健在だし、89年から91年にかけて米国で国民的ブームとなった後、7半期に渡る浮き沈みを苦しんだギャップ社も、97年下期には復調して99年上期まで好業績を謳歌したではないか(今回の凋落はもっと深く長くなるが)。ファーストリテイリング社だって、サプライチェーンはもちろん抜本的なビジネスモデルの再構築を経て必ず立ち直るに違いない。
 2001年8月期末で1573億円というキャッシュフローを使って成長事業を買収という手に出れば、前述した売上減少を仮説に終わらせる事も可能だ。食品のSPAという論理は解らぬでもないが、準大手CVSチェーンの買収による売上積み上げと自社商品の販路拡張というウルトラCの方が現実的だ。それなら売上減少どころが一兆円企業を射程に入れる事も出来る。若者に強い都市圏店舗が多く同社のキャッシュフローで買えるという条件で探せば、大変な起死回生劇が現実になる。狂気の中に活路をという柳井氏の経営スピリットを考えれば、これは有り得ない事ではない。もっと身近に考えれば、カジュアルシューズチェーンの買収という手もある。
 「ユニクロ」という事業が成長力を失っても、柳井氏とファーストリテイリング社までが将来を閉ざされる訳ではない。あれほどのブレイクを引き起こした経営者なのだから、きっと私達の想像を絶する謀略に打って出るに違いない。

ビジネスモデル経営の時代は終わった

 ファーストリテイリング社の突出した成功は、極端に絞り込んだ低価格ベーシックMDからサプライチェーン戦略まで業界に多大な影響を与えたが、通底していたのは流通の工業化という効率至上ビジネスモデル経営であった。極端なビジネスモデルが極端な成功をもたらしたインパクトは大きかったが、それは無駄という保険を捨て切ったリスク、企業都合の工業的流通をマーケットに押し付けたリスク、を抱えていた事を忘れてはならない。
 ファーストリテイリング社はサプライチェーンもビジネスモデルも組織世代構成も集中させた結果、環境変化への保険も捨て切り、変化に対する弾力性を失っていた。それゆえ、劇的な業績転落に直面する結果を招いてしまった。二十世紀末の勝ち組の多くはファーストリテイリング社ほどではないにしてもビジネスモデルと組織世代構成を集約する戦略で成功したが、大なり小なり環境変化への保険を切り捨てていた。ワールドはビジネスモデルは多様だが組織世代構成を極端に集約しているし、ファイブフォックスはビジネスモデルの共通性が指摘される。
 二十一世紀の最初のディケードは前世紀末のディケードから一転して顧客が多様に主張するサイクルになり、売手都合の効率を押し付ける流通工業化型ビジネスモデル経営は大きなリスクに直面してしまう。そのような市場環境下では一時の効率もともかく変化に対する弾力性が重視されるべきで、重層的な組織世代構成を持って多様なビジネスモデルを展開する無駄の多い企業にチャンスが巡って来る。ファーストリテイリング社やデル・コンピュータのような選択と集中に徹したビジネスモデル経営より、オンワード樫山やイオンのような貴重な無駄を内在出来る人間臭い経営が二十一世紀に向いているのではないか。 

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