小島健輔の最新論文

WWD 小島健輔リポート
『エシカル&DX急進で過剰供給も終焉
コロナ後のアパレル業界』
(2020年05月01日付)
小島健輔 (株)小島ファッションマーケティング代表取締役

 コロナパニックによる店舗の休業が長引くにつれ、アパレル業界は売り上げが激減しても固定費や仕入代金の支払いに迫られ、多くの事業者が資金繰りに窮して存亡の危機に瀕している。コロナパニックがいつ収束するのか読めない中、業界も消費者もカタルシス後の世界へ突入しようとしている。

秋冬は新旧継ぎ接ぎの品ぞろえに

 壊滅した春夏商戦に続く秋冬商戦は、春物の残品に秋冬の新作を継ぎ足す新旧継ぎ接ぎの品ぞろえで戦う籠城戦になりそうだ。その理由は以下の4つだ。

(1)仕込みが大幅に圧縮される

 アパレル業界は販売機会がECや一部の店舗に限られたまま春夏物の在庫を大量に抱え、売り上げが激減して春夏物の仕入れ代金支払いにも窮しているから、秋冬物の仕込みどころではない。仕入れ資金も限られコロナパニック収束の時期も読めないから、秋冬物の仕込みは大幅に圧縮するしかない。

(2)新しいトレンドが期待できない

 国内・欧米ともコレクションや展示会がことごとく中止になったから、一部のオンラインコレクションを除いて秋冬の新しいトレンド提案はほぼ皆無で、新しいトレンドが生まれる状況にない。他人との接触を控えておしゃれを忘れ、収入も蓄えも目減りした消費者に新たなトレンドに飛びつく意欲があるとは思えない。

(3)春物残品が秋冬になじむ

 今春物はナチュラルカラーのゆる抜けシルエットがトレンドだったから、新たなトレンドも出てこない今秋冬ではアウターやボトムなど大半の春物商品が無理なく品ぞろえになじむ。晩夏・初秋では新作に春物残品を合わせて販売するのは珍しいことではなく、春物在庫を抱えて多くの店がそれを行う今年の秋口では違和感もないはずだ。

(4)持ち越し継ぎ足しは異例ではない

 アパレル業界ではシーズン中の消化が必定と思われているが、現実はそうでもない。紳士服など前シーズンの売れ残りに新作を継ぎ足す“鰻のタレ”型品ぞろえが定着しているし(既製スーツの持ち越し率は3割を超える)、商社やOEM(相手先ブランドの生産)業者が生産地に抱えた未引き取り在庫に多少の手を加え、翌シーズンに“新作”として投入するのも珍しいことではない。そんな実態がコロナパニックで表に出るだけだ。

新旧・新古の垣根がなくなり過剰供給も終わる

 新作を売るはずの通常のアパレル店が持ち越し品と新作品の継ぎはぎになれば、オフプライスストアやリユース店との垣根も低くなる。

 巣ごもり生活やリモートワークで傍目を気にせず一段とカジュアル化し、お財布も少なからず傷ついた消費者もおしゃれの意欲は盛り上がらないから、今年の春物や去年の秋冬物でも気にならないし、よほどのファッショニスタかガチなギョーカイ人でもない限り見分けもつかないだろう。新旧を問わず、気に入る商品が手頃に買えればよしとするに違いない。

 現代文明の先が見えなくなったのだから、おしゃれな人はビンテージ品に走り、むしろ積極的にオフプライスストアやリユース店をあさるだろうし、感度の高いブランドショップやセレクトショップもデッドストックやユーズドをミックスして通な顧客に応えようとするだろう。まさに新旧・新古の垣根がなくなるのだ。

 新旧ミックスの品ぞろえが広がり新旧・新古の垣根もなくなれば、新規の生産・調達も激減し、慢性化していたアパレルの過剰供給もようやく解消に向かう。新作の企画・開発よりデッドストックやユーズドとの編集MDやリミックス・スタイリングが競われ、散々うたわれてきたエシカルなリサイクル消費が現実になり、過剰供給が支えてきた新品市場は急速に萎縮していく。

DXとC2Mが急進しサプライが一変する

 コロナパニック下で大半の店舗が休業してECが救世主となり、濃厚接触が敬遠されてリモートワークとリモート接客が必定となったのを契機に、販売のECシフトとOMO※1はもちろん、企画・生産から物流までデジタルシフトが一気に進む。

 これまでのように販売の半年前後も前から生産して在庫を積めば、トレンドや天候だけでなく類似商品の供給にも左右されるから、AI(人工知能)でどう予測しても需給ギャップを埋めきれるものではない。リードタイムが長くロットが大きいほどリスクも大きくなるのは必定だ。

その結果が供給量の過半が売れ残る惨状となっていたが、それもコロナパニック後には終わる。小売りチェーンやSPA(製造小売り)からメーカーや商社、OEM業者まで、春夏物の大量残品やキャンセル品を抱えて秋冬の仕込み資金も枯渇し、リスクの大きな先物仕込みができなくなるからだ。

 秋冬物の仕込みが停滞しても小売り段階では春物残品との継ぎ接ぎで品ぞろえし、新旧・新古の垣根のないエシカル消費に移行すると前述したが、このカタルシスを契機に企画・生産のデジタル化も加速し、リードタイムの革命的短縮と受注先行C2M※2による無在庫化が一気に進む。仕込み在庫も流通在庫も加速度的に圧縮され、アパレル業界は長年のギャンブル体質からようやく解放されるが、その過程で膨大な無駄とロスが支えて来た多くの企業と雇用が消えていくのは避けられないだろう。

 カタルシス後の大変革を主導するのは恐らく、店舗に過剰投資して余力のない小売りチェーンやSPAではないだろう。2000年の定期借家契約導入を契機に、普通借家出店の差し入れ保証金で首が回らないナショナルチェーンがことごとく置き去りにされ、新手のチェーンがSPA化して世代交代が急進したことが想起される。企画・生産段階や物流のデジタルトランスフォーメーション(DX)に集中投資してオン・デマンドなサプライ態勢を提供するのは、デジタル・プラットフォーマーに変貌する専門商社やVMI※3コントラクター/ベンダーになるに違いない。

※1.OMO(Online Merges with Offline):ネットと店舗の垣根を超えた融合を意味し、モバイルフォンをキーツールとしてウェブルーミングとショールーミングを駆使するニューリテール戦略

※2.C2M(Customer to Manufactory):ネットやショールームで受注してからデジタル生産や3Dプリンタで素早く生産して“個客”に届けるパーソナル対応の無在庫販売手法。F2C(Factory to Consumer)ともいうが、個客から生産へという方向に意味があるゆえC2Mと捉えたい

※3.VMI(Vendor Managed Inventory):あらかじめ定めた棚割りに基づいてベンダーに補給と在庫管理を委任する取引形態

店舗販売の無人化とリモート接客が急進する

 コロナパニックが収束しても、店舗販売はもう元には戻らないだろう。接客にせよ精算にせよ、これまでのような濃厚接触が容認されるとは思えないからだ。

 レジで対面するだけで緊張感が走り、汚染されたキャッシュなど触りたくもないし、カードの手渡しもパスワード入力もはばかられるから、一切の人的接触と入力操作が不要なタッチレス決済に移行するしかない。コード決済もタッチレスだがスマホの操作が必要で、格段にスピーディーな近接通信(NFC/FeliCa/Bluetooth)か生体認証と画像解析AIによる自動精算※4が普及するのは時間の問題だ。「アマゾンゴー(AMAZON GO)」が懐かしいスチームパンクとなるのに2年もかからないだろう。

 精算さえ接触が忌避されるのだから、ソーシャルディスタンスどころか個体空間さえ踏み越えて濃厚接触する対面販売が生き残るとは到底思えない。リアル店舗でも、近接通信ログインでAIがエントリーを受け付けてレコメンドし、マスクを装着した販売員がソーシャルディスタンスを保ってようやく接客することになるのだろう。濃厚接触が不可避で互いに労力を要するフィッティングは、ECのようなバーチャルフィッティングでは代用できず、基準ボディーによる擬似フィッティングや局所カメラを使った近接リモートフィッティングに移行すると思われる。

 チャットやビデオを駆使してリモート接客するECが当たり前になれば、実店舗でもITを介した近接リモート接客に移行するのは難しくないから、店内接客のリモート化も進むのではないか。人とパーソナルに濃厚接触するのが店舗販売の魅力という認識は、コロナパニックを契機に捨て去るしかなくなった。

※4.自動精算:決済と精算は別のプロセス。引き落とし口座(ID)を認証すれば「決済」は可能だが、何をいくつ購入したのか検証して金額を確定しないと無人「精算」はできない

「人」「店」「在庫」 三大コストの圧縮が急進する

 これまでの過剰供給と過剰消費が支えてきた過剰な人、過剰な店、過剰な在庫という三大コストがコロナパニック下のリモートワークやエシカル消費で露呈し、行動と接触の規制がもたらす消費と経済の萎縮で綱渡りの資金繰りを強いられたのだから、コロナパニックが収束しても三大コストの圧縮は加速こそすれ止まることはないだろう。

 店舗からECへのシフトが加速し、店舗運営も物流倉庫運営も自動化・省人化が進み、企画・生産のDXとリサイクルMDで新規商品の供給も流通在庫も減少していく。少子高齢化が進み所得も消費も萎縮していく中、無理にあおって水ぶくれした経済がエシカルな適正規模に縮小していくのは自然の摂理と悟るべきだ。

 人も店も在庫も腹八分目で手元資金にゆとりがある企業は、この危機を乗り越え次のチャンスに乗ることができるが、目一杯手を広げてキャッシュフローがタイトな企業はこの危機を乗り越えられない。人材、顧客、取引先は事業の三大リソースでありコロナ危機下でも最大限の維持に努めるべきだが、本当に必要なコストと不要なコストの仕分けはいずれ避けられないと腹をくくるべきだ。

文明破たん後のサバイバル消費にどう向き合うか

 大友克洋の「AKIRA」の予言通り、2020年の東京オリンピックが延期(中止もあり得る)に追い込まれ、映画「アウトブレイク」や「コンテイジョン」を地で行くパンデミックSFを実体験させられている人々にとって現代文明の破たんは現実であり、マスクや消毒品、トイレットペーパーや食材を求めて列に並び、果てはマスクや消毒剤を自製までしている。これがサバイバル社会やディストピア社会でなくてなんだと言うのだろうか。

 古くは「ブレードランナー」や「未来世紀ブラジル」、「時計じかけのオレンジ」「マッドマックス」から「風の谷のナウシカ」「少女終末旅行」まで幾度も描かれた、戦争や内乱、飢饉や疫病などで文明が破綻した後のサバイバル社会やディストピア社会を今、誰もが容易に想像できるに違いない。コロナパニックが収束しても、この実体験はウイルスのように人々のDNAに染み付き、ライフスタイルと消費を根底から変えてしまうだろう。

 いつ社会のインフラが止まり生活の基盤が崩れても生き残れるよう、エコミニマル&エシカルなサバイバルを誰もが心の底で決意したかもしれない。不要不急の贅沢をあおる百貨店や中途半端な割高ブランドなど存在場所がなくなる一方、ライフラインを支える公共サービスや医療はもちろん、食品や医薬衛生品など生活必需品を提供する小売業者やサプライヤーは供給維持のサステナビリティ責務を痛感したのではないか。

 ならば、美しきエシカル消費をうたう一方で不要不急のトレンドと付加価値をあおって膨大な需給ロスを廃棄してきたアパレル業界は、どう悔い改め、サバイバル消費時代の存在価値を見出せばよいのだろうか。夢を作り夢を貪ってきたアパレル業界も、この機会にシリアスな現実を直視するしかないだろう。

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